第三極の登場で
日本の政治は多元化するか

 そして今回の参院選であるが、ここで第三極とは何かについて簡単に振り返ってみると、自民党でも民主党でもない政治勢力というのがその存在意義であった。つまり、自民党には入れたくないが、民主党でも不安という有権者、特に都市有権者の受け皿ということである。

 ただ、そうなると二大政党制というものが前提とならなければいけないが、世界で厳密に二大政党制といえるのは米国ぐらいしかない。それ以外は、一党独裁という特殊な事例を除き、多党制が常態であり、その多くの場合は連立政権である。

 わが国もこの常態かつ連立政権であるということに当てはまることに加え、対立軸は多種多様であるので、第三極の立場や存在意義を維持するのは容易ではない。しかも第三極が勢力を伸ばし、その主張する政策がいずれかの政治勢力と共通するようになったり、政権与党側がその政策を受け入れて実現するようになったりすれば、その段階で第三極たり得なくなる。

 結局、みんなの党結党に始まる第三極運動は、野党なり、連立政権を構成する与党の選択肢の一つを作ったにすぎない。欧州に見られるような、さまざまな意見や利益を代表できる政治の多元化、多元主義を当たり前にしていくきっかけを作ったということに、一つの終着点、着地点を見いだすことができるのではないだろうか。かつては自民党が多様な意見や利益の政治・政策への反映という役割を担っていたが、小選挙区制度導入以降その役割を果たせなくなったことも、第三極誕生の背景として考えられる。つまり、日本における多元主義の変容の過程において、第三極が誕生したとも考えられるのだ。

 無論、その役割は重要であり、イデオロギーではなく、さまざまな意見の政治への反映を可能にするための道筋を作ったという意義は小さくないだろう。そうした中で、みんなの党を立ち上げた渡辺喜美氏が政界引退を表明した。ここに一つの時代の転換期を見ることができるように思う。それはもちろん、多元主義化が次の段階に入ったという積極的な意味においてであるが。

 今回の参院選における新党ブームが、かつてみんなの党が担った、日本の政治の多元化の推進という役割の延長線上なり代替なりを果たせるのか否かは未知数だ。しかし、少なくともそうした新党の街頭活動や支持率、YouTube動画の再生回数などからすれば、日本の政治状況は着実に多元化への道、その深化へと進んでいっているといえるのではないだろうか。

 そうしたことを認識した上で、選挙、政治、そして政策を自分の問題として引き寄せて、「最大公約数」ではない政党やそこの候補者を選択していく流れになっていくことを望みたい。本稿がその一助となれば幸いである。