「昇進にはまだ若い」ではなく
「若いからこそ昇進させる」

 むしろ私は逆だと思った。若さは武器なのである。なぜなら、体力もあり、頭も柔軟であることに加えて、失敗した場合のリカバリーも早いからである。若いうちに失敗しても、まだ取り返しようがある。体力・気力も十分だから、取り返すための踏ん張りもきくだろう。だから、思い切ったチャレンジができるのだ。

 一方、それなりの年数を経て、ようやく課長なり、部長なりになったとしたらどうか。こうなると、失敗して軌道修正しながら自らを成長させるための時間は乏しい。すると、あえて新しいことにチャレンジしよう、などという意欲は湧いてこないのではないか。それよりも、やっと課長に、部長になれたのである。せっかく手に入れた地位を守りたいという強い願望を持つことになるのは想像に難くない。そうなれば、失敗を恐れて保守的にもなるし、新しいチャレンジなど望むべくもないと思う。

 そしてもうひとつ、実力主義を貫かずに、年功序列によってふさわしくない人を管理職にしてしまうことの大きな弊害がある。部下が困るのである。どうしてこんな人が上司なのか、納得がいかない、仕事もサポートしてもらえない、などということにもなる。これでは、部下も腐ってしまいかねない。

間違った昇進は
社内に不満を蔓延させる

 他の部門に行かせてほしい、という異動希望につながったり、もう会社を辞めたいと言い出すことにもなる。さらに最悪なのは、上司に対する不満がどんどん溜まり、それが社内で広く伝播していってしまうことである。

 1人の不満は2人の不満になり、3人の不満になっていく。これが、会社の雰囲気にいい影響を与えるはずがない。場合によっては、業務に支障が出てしまうかもしれない。「どうして、あんな人を課長にしておくんだ」「部長にしておくんだ」ということを部下に言わせてしまうような昇進はあってはならないのである。

 長くやってくれているから、などという安易な理由で昇進させることが、いかに危険なことか。

 なお、昇格を機に本人の転勤を同時に打診する、という会社もよくある。これも、気をつけなければいけない。未だに転勤を機械的に行っている会社もあるようだが、転勤は社員にとっては家族の生活を大きく変える一大事である。転勤してもらうとなれば、何を目的として本人にお願いをするのか、理解と納得が必要になる。そうでなければ、本人は仕事に燃えてはくれない。