1985年9月23日――。37年前のこの日は秋分の日で休日でもあった。起床と同時にテレビのスイッチを入れると驚きの映像が飛び込んできた。担当記者として前日から所在を見失っていた大蔵相、竹下登が米ニューヨークからの衛星中継で映し出されたのだった。
国際金融経済の分野の歴史に残る「プラザ合意」。竹下の横には米レーガン政権で金融財政政策を担った財務長官のジェイムズ・ベーカーら先進5カ国(G5)の蔵相・財務相が並んだ。当時の米国は財政と貿易の「双子の赤字」に加え、「ドル高」に苦しんでいた。ベーカーは盟友ともいえた竹下に繰り返し為替調整を持ち掛けた。
「これはドルの価値を下げるという話だ。米国にとっては苦渋の選択になる。頼む」
後に竹下はプラザ合意を受け入れた理由の一端として、ベーカーの口吻をこう語った。
それから37年を経て日本経済は急速な「円安」に見舞われ、政府・日銀は9月22日夕、24年ぶりにドルを売って円を買う市場介入に踏み切った。この日、米連邦準備制度理事会(FRB)は0.75%の利上げを決定。一方、日銀総裁の黒田東彦は日銀の政策決定会合後に記者会見に臨んだ。「当面、金利を引き上げることはない」。
双方の決定を受けて22日の円相場は一時的に1ドル=145円台を記録した。翌日は市場が開かない秋分の日。「プラザ合意」を想起させた。くしくも首相、岸田文雄は国連総会へ出席のためニューヨークに滞在中だった。
「為替市場の過度な変動に対しては、断固として必要な対応を取る」