参院選後に断行?自民党内に燻る、内閣改造による「陣立て見直し論」1979年に勃発した当時の首相、大平正芳(左)と前首相、福田赳夫による「40日抗争」は、首相の石破茂を取り巻く現在の状況と酷似する Photo:JIJI

 7月20日の参院選の投開票日を直前にして報道各社が報じた情勢調査はいずれも政権与党である自民党の苦戦を伝える。その一方、6月の東京都議選で躍進した国民民主党と参政党が、都議選の流れをそのまま維持。自民党最高幹部も「何をやっても有権者に響かない」と周辺に漏らした。

 首相の石破茂が設定した勝敗ラインは「自公で非改選議席を含めた参院全体(248議席)の過半数」。つまり過半数125議席を維持するには自公で非改選の75議席に加え50議席が必要ということになる。いつもの参院選なら相当低い設定だが、石破が「必達目標」と語るほど後がない。しかし、いずれの情勢報道も相当厳しい数字が並んだ。勝敗を分ける32ある1人区は「良くて勝率5割に届くかどうか」(自民党幹部)。その「1人区の壁」を越えることができなければ、戦後の憲政史上では例を見ない「衆参同時の与党過半数割れ」という異常事態に突入する。

 参院選後の石破の前には二つのハードルが立ちはだかる。政権運営と米大統領、トランプとの関税協議だ。その時、石破はどのような判断をするのか。政権を投げ出すのか、歯を食いしばって局面の打開に向かうのか、焦点はその一点にあるといっていい。

 ただし衆院選とは違って参院選の結果を受けて直ちに首相指名選挙が実施されるわけではない。秋に想定される本格的な臨時国会の召集までは態勢立て直しのための猶予期間がある。ここで真っ先に問われるのが石破のやる気、気力だろう。状況が酷似するのが1979年10月の衆院選だ。自民党は過半数を割り込み、保守系無所属を加えてかろうじて過半数を維持した。衆院解散を決断した首相、大平正芳の退陣を求める前首相の福田赳夫らとの間で「40日抗争」が勃発。この際に大平が側近の加藤紘一に発した言葉がある。

「おまえが俺の元を去っても俺が一人で微動だにしなければ、日本の総理はつぶせないんだ」