習主席が捨て去った
鄧小平の「開放路線」
2022年10月、第20回になる中国共産党全国代表大会が行われた。ここで習近平国家総書記・国家主席(以下、習主席)は異例の3期目を決めて、政治の要となる中央政治局常務委員から李克強首相など反習近平勢力を排除することに成功し、共産党青年団出身で李首相の後継者である胡春華氏の委員会入りを阻止した。これまでの派閥バランスを一気に崩して、最高幹部はすべて習派と実質的な習派が占める「オール習近平体制」に限りなく近いものになってしまった。
さらに、同大会の閉幕式では、ショッキングなことが起きた。李首相を庇護してきた胡錦濤前総書記が、強制的に退席させられている様子を写した切り取り動画が、拡散されたのである。国営新華社通信は公式ツイッターで「胡氏は体調が優れなかった」と投稿したが、監視が強化されている同大会の様子が勝手に流される可能性は小さく、一長老が体調不良で退席する様子を世界に発信する理由が思い当たらない。一説では習主席が、自らの権力を外国に住む中国人や華僑、各国情報機関に知らしめるためではないかという説もある。
いったい権力内で何が起こっていて、これから中国はどこへ向かっていくのだろうか。
1956年に全国代表大会で「毛沢東思想」が党規約から削除されたが、2022年にそれが「習近平思想」という変容した形で復活した。中国において法律を超える存在である党規約で、習主席への個人崇拝につながる内容が入れられた意味は重い。
1956年の次に重要な年として、経済政策について大きな転換があった1992年がある。
開放経済を進めた鄧小平国家主席は、どうやら1985年前後から「我々の政策は、先に豊かになれる者たちを富ませ、落伍した者たちを助けること、富裕層が貧困層を援助することを一つの義務にすることだ」と述べて、いわゆる「先富論」を唱えていたようだ。
そして、1992年の全国代表大会では、鄧小平の思想が「社会主義市場経済」という言葉で正式に党規約に盛り込まれた。社会主義国家である中国に、鄧小平は国家資本主義を導入したのである。やがて、グローバルに活躍する中国企業が現れて、中国経済が世界第2位にまで躍進した。鄧小平の政策がその出発点となったといえる。