会場を愛知県の豊田スタジアムへ移した24日の中国との第2戦。日曜日夜の開催だったが、観客数は1万526人にとどまった。一方でパリSGが公開した練習には、一般4500円、小中高生2000円と有料だったにもかかわらず、3回で5万人に迫るファンを集めていた。

 数字として示された明確な違いは、当然ながらE-1選手権を戦っていた日本の森保監督も把握している。大会期間中には人気の差を問う質問もメディアから飛んだ。指揮官は「それぞれの試合における目的が違う」と、特に意識はしていないと努めて強調した。

「パリの日本ツアーと代表を比較して、ということは考えていない。パリの試合は世界選抜のようなものなので、それを日本国内で見られるのは非常にいいこと。われわれとしてはJリーグ所属の選手たちの価値を上げられるように、国内のサッカーの価値を示せるように考えながら戦っている」

「ドーハの悲劇」を経た
あの盛り上がりはどこへ?

 サッカーに観客が集まり、関心も注がれる。しかし、相対的に日本代表の地盤は沈下している。二極化のカギを担っているのが、前出した「ライト層」の動向となってくる。

 彼ら、彼女らを引き寄せられれば状況は激変する。例えばJリーグの黎明期。日本中を席巻したJリーグブームはやがて代表チームにも伝播し、後半アディショナルタイムの失点で悲願のW杯初出場を逃した1993年10月の「ドーハの悲劇」を経て、一気にサッカー界のアイコンへ昇華した。

 今度こそW杯へ、を合言葉に共闘しながら、ハラハラ、ドキドキが繰り返された末に「ジョホールバルの歓喜」で大団円を迎えた97年のアジア最終予選。韓国との共催でアジア初のW杯開催が決まっていた02年大会と、代表人気を後押しし、同時にけん引する活況にも事欠かなかった。

 しかし、W杯の出場国拡大とともにアジアの代表枠も増え、日本の連続出場が継続された2006年ドイツ大会以降から、アジア最終予選で生まれるドラマの数も減少傾向に転じた。

 その間に三浦知良から中田英寿、中村俊輔と受け継がれてきた、実力と個性、発信力、あるいはカリスマ性を伴った個人的なアイコンも本田を最後に途切れてしまった感が拭えない。

 象徴的な出来事を目の当たりにしたのは今年4月。元日本代表MFの中村憲剛さんが、日本サッカー協会(JFA)と母校でもある中央大学国際経営学部が連携して、サッカー界に存在する課題の解決に取り組むプロジェクトに参画したワークショップの第1回が開催されたときだった。

 テーマの一つはくしくも「新たにサッカーファミリーの仲間になる可能性のある人たちの仮説出し」だった。講義に出席した大学生は、ちょうど02年の日韓共催大会の前後に生まれた世代。その冒頭で中村さんは「サッカーの日本代表戦を見たことがある人は」と問いかけた。

 挙手をしたのが半数ほどにとどまった現実に、中村さんはサッカー界から外へ、勇気を持って踏みだしてよかったと心の底から思ったと後に語っている。さらに学生たちとのディスカッションでは、中村さんをして「最も衝撃的でした」と苦笑させる意見も飛び出した。