三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第125回は「株の街」兜町の変遷をたどる。
2000年代「シャッター街」と化した兜町
不動産投資勝負に挑む藤田家の御曹司・慎司は不案内な東京の不動産市場を俯瞰するため、古地図と歴史に着目する。江戸時代からの歩みを振り返りつつ、再開発で復活したニューヨークの一部地区と重ね合わせた都内の一角に「あそこだ!」と目星をつける。
不動産投資は宿命的に長期投資とならざるを得ない。歴史が刻まれた、変わり続ける生き物として都市をとらえるのは大事な視点だ。街の来し方を振り返り、行く末を占うのは知的ゲームとしても興味深い。
私がその変遷を長年見てきて、都市の変化とは予測不能で面白いものだとつくづく感じるのが兜町だ。
東京証券取引所を中核とする兜町は言わずと知れた株の街。明治以来、日本の株式市場の心臓部であり、1980年代までは多くの投資家と証券マンが集う熱気にあふれたバブルの象徴のような街だった。
新人記者として東証内の記者クラブ「兜倶楽部」に配属された1995年時点では、バブルは崩壊し、証券界は不況にあえいでいた。1997年には「四社」の一角・山一證券が破綻し、99年には立会場でハンドサインを駆使して売買注文を取り次ぐ伝統的な「場立ち」も姿を消した。
2000年代に入ってネット取引が普及すると証券会社の従業員の減少に拍車をかかった。兜町は飲食店などが相次いで閉店し、シャッター街の様相が強まった。かつては満員御礼が常だった雀荘に繰り出すと「兜町も寂れたなぁ」と強く感じたものだ。
その間、国際金融センターとしての東京の競争力を高めようという議論は官民で続いた。1990年代の「日本版ビッグバン」の流れをくむ構想で、当時の報告書を振り返ると先見性のある提言が並んでいて感心するのだが、一部では「ロンドンやニューヨークに対抗するためにはもっと良いレストランが必要」というピント外れな意見もよく耳にした。
「証券会社が姿を消したのに、レストランだけ作ってどうするんだ」と苦笑したものだった。
汚いビルがホテルと高級レストランに
ところが、今から10年ほど前、2010年代半ばに入ると、兜町の様子が変わってきた。昔ながらの居酒屋などを残しつつ、ちょっとお洒落でそれなりのお値段のレストランやカフェが徐々に増えていった。新築やリノベーションで綺麗なオフィスビルも増え、消えた証券会社の「穴」を埋めるようにフィンテック系の新興企業などが進出してきた。
個人的に一番驚いたのは、かつては仕事場があった2つのビルの変貌ぶりだ。ひとつは東証のすぐ隣の築100年近いビル。かつて記者30人ほどが詰めていた古びた汚いオフィスビルは、綺麗にリノベーションされてホテルと高級レストランに変身していた。
もうひとつは渋沢栄一の邸宅跡に立つ日証館ビル。「東証の大家さん」である平和不動産の本社でもあるこの歴史的建造物の1階には今、行列のできる高級アイスクリーム屋さんが入っている。
20年前、金融街として没落していく兜町を見て、私はこの街が再び活気を取り戻すことはないだろうと考えた。その予想は見事に外れ、今は若者やインバウンドを引きつける新しい魅力を放っている。
兜町は日本の銀行発祥の地でもあり、徒歩圏には日本銀行と貨幣博物館もある。日本の金融の歴史を振り返りつつ、変わりゆく生き物としての都市について考える格好の散歩コースとしてお勧めしたい。