地域とのつながりを
強めたきっかけ

 川崎フロンターレのスタッフに「フロンターレはどんなクラブか?」と聞くと、ほとんどが「地域密着を目指すクラブ」と迷いなく答えてくれた。それほど地域重視のマインドが強固なわけだが、地域とのつながりを大切にするようになったきっかけは、どこにあったのか。

「2001年のJ2降格が大きな転機だったのかもしれません。カテゴリが一つ落ちるだけで一気に注目されなくなるんですよ。当時在籍していたスタッフの話では、2万5000人入るスタジアムに観客が3000人も入れば良いほうだった。当時の川崎フロンターレ社長の武田信平は、地元の方々に挨拶に伺った時『強くなったら応援してやる』と言われた事もあったそうです。『弱いからこそ一緒に応援して強くしてください』という気持を持って挨拶に伺っていたそうです。」(若松氏)

 支援してくれる川崎市民やサポーターとともにクラブは強くなる――。J2で苦境に立たされていたフロンターレは、川崎市民やサポーターが応援したくなるクラブを創り上げていくとともに、少しずつ「前へ」進んでいったのだ。

「今でこそ優勝争いに毎年絡めるようなチームになりましたが、優勝する前から在籍しているスタッフとしては、心のどこかで応援してくれる人がたくさんいることは当たり前ではないんだ、といった危機感もあるんです」(若松氏)

 再びJ1昇格を果たした2005年に川崎フロンターレに入った浦野氏は、当時の雰囲気も覚えているという。

「J1に昇格したとき、地域の抱える問題や課題の解決にフロンターレが貢献することで、フロンターレを応援してもらえるのではないか。そうした視点をスタッフ全員で共有して、地道に続けた活動が多くの川崎市民やサポーターの支持につながったのだと思います」(浦野氏)

 フロンターレの選手たちもクラブ事業部の方針を理解しており、地域貢献活動にも協力的だという。「最初はもしかしたら『やらされている』と思っているのかも」と若松氏は笑うが、クラブでは、選手たちに対して各イベント前に活動の必要性を説明する時間や内容の落とし込みを行う機会も設けている。

「地域を大切にするクラブの方向性を選手にも理解してもらうことで川崎フロンターレの一体感を選手も感じてくれているのではないか」と若松氏は話す。

「私も選手と同じくグラウンドに立つことがありますが、試合に負けてもフロンターレのサポーターの人たちはほとんどブーイングをせずに『次、頑張ろう』と、拍手をしてくれます。試合に出ていない私でもグッと来るものがあるので、選手もこれだけ支えてくれるサポーターのために頑張ろうと思っているはず」(若松氏)

 浦野氏も、イベントなどで競技場に訪れると、クラブ・サポーターの団結や熱い思いを共有する瞬間に出くわすことも多いのだとか。

「負ける気がしないような、独特の雰囲気が競技場に充満していると感じるんです。われわれはホームでロスタイムに劇的な逆転が起きることを“等々力劇場”と呼んでいるんですが、負けている状況でもそんな期待感を持てる空気をサポーターの皆さんが創り上げてくれていて。普段話さない人でも、込み上げる熱い気持ちを分かち合える空間が生み出されるような一体感は、観客席に居ても強く感じます」(浦野氏)

 熱狂的なファンのグッズ購入や、イベント参加によって応援されるグループを中心に成立する経済のことを「ファンダム経済」と呼ぶ。初めは選手の「単推し」であっても次第にフロンターレという「箱」を推してもらえるよう持続的に地域密着の活動を継続することで結果を出してきた川崎フロンターレの姿は、ファンダム経済の成功例と言えるだろう。

 実際、川崎フロンターレのサポーターの数は年々右肩上がりだ。2021年には後援会の会員数が4万5000人を突破しており、今年は4万8000人を超えて5万人が目前に迫っている。