会社や組織が人生の
全てになるのではない

 野口さんのキャリアは、最初から宇宙飛行士だったわけではない。

 高校時代に立花隆の『宇宙からの帰還』という本に出合い、宇宙飛行士になる決心をしたが、東京大学大学院の博士課程修了後は、石川島播磨重工業(現在のIHI)に入社し、ジェットエンジンの設計に携わった。

 現JAXAの宇宙飛行士の募集を知って応募したのは、入社5年目の1996年だ。

「当時の企業は、年功序列や終身雇用が当たり前で、私も普通に最後まで勤め上げるものと思っていました。宇宙飛行士として採用されたときも、宇宙に行けるのはうれしいけれど、せっかく入った会社を辞めるのか、という葛藤がありました。ところがNASAの宇宙飛行士養成コースに参加して米国に行くと、むしろ転職が当たり前。米国は昇給したり給料を上げるためには転職が必要な社会で、そこでキャリアへの意識が大きく変わりました」

 その後、野口さんは、26年間にわたって宇宙飛行士として活躍。2022年6月、JAXAを退職した。定年退職の時期までにまだ余裕があったが、「宇宙飛行士として心地良いまま終わるより、厳しい民間の世界に出て、もう一度もまれる体験をしたい」と考えたからだ。

野口聡一氏が語るキャリア形成のヒント「視点を一つ高い次元に置くと、必ず新しい解決策が見つかる」国際宇宙ステーションでの船外活動。生と死を隔てる境界は"点"でしかない。写真提供:JAXA/NASA

 若いときから、会社を渡り歩いてキャリアアップをしようという気持ちはなかったが、結果的に宇宙飛行士として、人とは違う充実したキャリアを積み重ねてきた。

「大切なのは、自分の価値観やアイデンティティーを他人に委ねてはいけないということです。一言で言えば、会社や組織が人生の全てになるのではない、ということ。最初はたぶん、自分のやりたいことや夢があったはずなのに、会社や組織に属していると、知らないうちにその中に居続けることが目的になってしまう。自分が置かれた環境に慣れ過ぎて、それ以外の価値観があることを忘れてしまう。若い人たちには、自分の夢を実現するためにその会社や組織を選んだことを、いつまでも忘れないでほしいと思います」

 ちなみに、就職相談の相手として親を選ぶのは間違いだ、と野口さんは言う。会社の価値や状況は年々変わっているのに、親の世代は「30年前の有名企業名」かどうかで判断しがちだからだ。人生の先輩としての相談ならよいが、具体的な企業選びに、親世代のアドバイスはむしろ害悪。それよりも、年齢が近い現役のOBやOGにアドバイスを求めた方がよいと助言する。