総予測2023#68Photo by Yoshihisa Wada

温室効果ガス排出量を2050年に実質ゼロにする「ネットゼロ」は、今や企業の経営戦略を左右する重大テーマだ。その流れが始まったのは、15年のパリ協定にさかのぼる。ある民間の“チーム”が各国政府に呼び掛ける形で地球温暖化対策を主導した。ネットゼロの「仕掛け人」ともいえるチームのCEO(最高経営責任者)を務めたキース・タフリー氏に、交渉の舞台裏や日本が取るべき脱炭素戦略を聞いた。(聞き手/ダイヤモンド編集部副編集長 重石岳史)

「週刊ダイヤモンド」2022年12月24日・31日合併号の第1特集を基に再編集。肩書や数値など情報は雑誌掲載時のもの。

株主価値偏重は「21世紀に通用しない」
経営者や学識者らで「Bチーム」結成

――パリ協定の策定に主体的に関わることになった経緯は。

 私は弁護士としてキャリアをスタートし、ゴールドマン・サックス・オーストラリア入社後に投資銀行の世界に入りました。そこで企業の成長に金融がいかに重要な役割を果たしているかを学びましたが、株主価値に偏重した1990年代当時の考えに違和感を持ちました。この考えは21世紀に通用しない、と思ったのです。

 銀行業界から足を洗い、英ヴァージン・グループ創設者のリチャード・ブランソン氏に誘われて2014年に非政府組織「The B Team(Bチーム)」を立ち上げました。プランAではなくプランB、つまり株主価値ではなく、ステークホルダーの価値に軸足を置いた戦略を作る。これがチームの目的で、グローバル企業のCEO(最高経営責任者)や学識者、市民団体のリーダーら25人が集まりました。

 私がBチームのCEOを務め、「2050年ネットゼロ目標」をパリ協定に組み込むよう働き掛けました。ネットゼロ達成に取り組む世界初の企業グループを実際に創設し、今、約6000社がネットゼロを目標に掲げていることを考えれば、世界標準の大きな流れを生み出せたと思っています。

――タフリーさんをネットゼロの流れをつくった「仕掛け人」と呼んでいいですか。

 私個人というのはおこがましい(笑)。私がBチームをまとめる調整役を務めたのは事実ですが、一人の力ではなく、チームで成し遂げたことです。

 15年はSDGs(持続可能な開発目標)が国連で採択された年でもあります。持続可能性という観点で15年は非常にエキサイティングな年だったと思う。その中でBチームは、積極的な役割を果たせました。

――なぜネットゼロの目標を50年に設定したのでしょう。

 それについては少しストーリーをお話したい。

温室効果ガスの排出を全体としてゼロにするネットゼロの実現目標は、2050年に設定されている。なぜ50年か。タフリー氏は、その議論が始まったきっかけに、ある人物との「カフェでの出会い」があったと明かす。