良きリーダーになるには
後悔を「生産的に活用する」

――あなた自身も2014年、母校の米ノースウェスタン大学の卒業式で、次のような祝辞を述べています。「自分とはどのような人間なのか、どのような人生を送るべきか、という答えを見いだす唯一の道は、計画に沿って行動するよりも、今を生きることだ。つまり、心地よさと慣習という2重の殻を打ち破り、とにかくやってみることだ」と。

ピンク 私たちは、人生の計画に多くの時間を費やしがちだ。もちろん、私は計画することに反対しているわけではない。だが、世界が複雑さを増すなか、多くの場合、物事は計画どおりになど運ばないものだ。実際にやってみると、「こんなはずじゃなかった」など、計画自体が突如として意味をなさなくなることが多い。

 私たちは生きるうえで、まず計画ありきと考えがちだ。計画しながら答えを見つけ、行動する。つまり、行動は二の次だ。しかし実のところ、答えは「行動」の中にある。行動することで、世界が見えてくる。計画の立てすぎは「幻想」に浸ることと同じだ。私たちに多くのことを教えてくれるのは、計画の立案よりも行動だ。

 もちろん、計画を立てるなと言っているわけではない。ただ、もう少しリスクを取って計画を減らし、行動に移すことが大切だということだ。例えば、ジャーナリスト志望者が計画や勉強、準備にいそしむのも結構だが、実際にジャーナリズムの世界に飛び込むことに勝るものはないだろう? 仕事をすることで、ジャーナリストとは何かという答えが見つかる。完璧な計画など不可能だ。

――あなたの著書によれば、人間とは後悔する生き物であり、後悔を感じる能力の欠如は、脳の前頭前野にある「眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ)」という領域に損傷があることと関係しているそうですね。共感能力がないなど、いわゆる「サイコパス」(反社会性パーソナリティー障害)と言われるタイプの人を思い出しますが、「わが人生に悔いなし」と胸を張る人のほうが、むしろ危ないということでしょうか。

book『The Power of Regret: How Looking Backward Moves Us Forward』(『後悔の力――過去を振り返ることが、いかに私たちを前進させるか』(仮題、邦訳版刊行予定)

ピンク いくつかの可能性が考えられる。まず、自分自身に無頓着で、自分のことをわかっていない人だ。次に「ソシオパス(社会的病質者)」だ。そして、まだ脳が十分に発達していない5歳の子供にも、後悔がないだろう。それ以外の人々は、誰もが後悔を感じる。人間が抱く最も一般的な感情の一つ、それが後悔だ。

 後悔を感じると嫌な気分になるが、正しく対処すれば役に立つ感情だ。「後悔などない」と言い切る人がいたら、子供はさておき、自分を偽っているか、自分自身を正当化しているか、人格的に深刻な問題を抱えているかのいずれかだ。

――書籍の第4章「なぜ後悔が私たちをより良くするのか」では、『国際組織論・組織行動ジャーナル』掲載の研究「Reflecting or ruminating: listening to the regrets of life science leaders」(「振り返りか熟考か――ライフサイエンス業界のリーダーらの後悔に耳を傾ける」2021年6月15日付)の結果が紹介されています。それによると、経営幹部に後悔の熟考を促すことは、幹部らの「将来の決断にポジティブな影響を及ぼす」そうですね。

 一方、サイコパス性が強い人々の割合がもっとも多い職業・役職は最高経営責任者(CEO)だという研究結果もあります。従業員に共感できず、後悔も感じないとしたら、そうした人々が優れた経営者になれるものでしょうか。

ピンク 難しいだろう。確かにCEOのような役職には、社会的病質性や反社会性パーソナリティー障害の傾向を持つ人々が就くことがある。だが、十分な経験や後悔を感じる能力がない人がCEOになるのは危険だ。「私には後悔などないし、決してミスもしない」と言い切るような人が良きリーダーになれるとは思わない。

 だが、良きリーダーになるには、後悔を感じるだけでもだめだ。後悔に打ちひしがれてもいけない。後悔を「生産的に活用する」ことが必要だ。良きリーダーとは、「過ちを犯したが、教訓を学んだ。それを将来にこう生かしていく」と従業員に語りかけるような人だ。