小谷城は長く語り継がれる
籠城戦・攻城戦の舞台に

 浅井長政と織田信長が激突した小谷城は、長く語り継がれる籠城戦・攻城戦の舞台になった。浅井氏と朝倉氏が技術を駆使して守りのくふうを凝らした小谷城は、国史跡として地域の方々が守ってきた。建物は復元していないが、崩れた石垣をたどり、木々の間に広がる眺望に想いをめぐらすのが、小谷城の歩き方としてふさわしいと思う。

写真:『歴史を読み解く城歩き』書影千田嘉博著『歴史を読み解く城歩き 』(朝日新書) 

 そして小谷城だけでも魅力的な山城だが、この小谷城を攻めた織田信長や羽柴秀吉を感じられるのが、信長が1572(元亀3)年に築いた滋賀県長浜市の虎御前山城である。この城は小谷城から北陸自動車道を挟んだすぐ南側にあって、両城の先端に立てばお互いの姿を目視できるほど接近していた。この城は小谷城を包囲した「付城」だが、これほど接した付城は稀である。長政を追い詰めた信長の執念を感じる。

 虎御前山城の城将を務めた羽柴秀吉は、小谷城に最も近い最前線の曲輪を受け持ち、小谷城に向いた曲輪に沿って長く延びた横堀をめぐらした。これほど追い詰められても長政は虎御前山城を攻めており、この横堀は見せかけではなく本当に戦いで機能した。小谷城攻めをまかされた秀吉は、必死の思いで虎御前山城にいたのだ。

 信長の本陣は城内の最高所にあり、信長本陣の石柱が立つ。臨時の砦であったが、本陣は周囲を人工急斜面の切岸で防御し、城道の屈曲と広場を組み合わせた高度な出入り口である枡形を備えた。信長本陣は独立した構造になっていて、明らかに特別な空間だった。信長と秀吉は虎御前山城から小谷城を見ていたのだが、2人が見た景色は少し違っていたように思う。

写真:虎御前山城の信長本陣虎御前山城の信長本陣。周囲を人工急斜面の切岸で守った Photo by Yoshihiro Senda