こうなると長岡も引かない。両者の大喧嘩に発展してしまった。これで慌てたのは漁協だ。一漁船一漁法自体、暗黙のルールであり、明確に文書化されているわけではない。だから、われわれを一方的に責めることはできないが、これを認めると秩序が乱れてしまう。

「頼む。このままじゃどうにも収まらん。ここは折れてくれ」

 漁協の幹部から頼まれたため、こちらが譲歩することになった。おカネをかけて取りつけた設備を再びおカネを払って撤去したのだから、大損である。

 しかし、この一件で、多くの漁師が一漁船一漁法の弊害に改めて気付くことになった。おそらく他の漁師からも漁協に意見が出たのだろう。なし崩し的ではあるが、この翌年から巻き網漁の禁漁期間に出漁しても、誰からも文句が出なくなった。

 こうした経験を積むことで、私も長岡ら漁師たちも、ある確信を得られた。

 それは、今なにかを変えなければ、生きていくことはできない。なにかを変えようとすれば必ず抵抗する人がいる。だが、諦めずに続ければきっと実現できる。

 そうしなければ、いずれ消費者は魚が食べられなくなるだろう。似たようなことが酪農や農業の世界でも起きているに違いない。だとすれば、なんとしても既存のルールに風穴を開ける必要がある。

 ほんの偶然の出会いから始まった仕事だが、私たちはいつの間にか日本の漁業の常識を根本から覆す方向に走り出していた。