「たった1人からの教育革命」が
日本の教育にもたらすもの
星:最後に、教育改革実業家として、今後の藤原さんのミッションをお聞かせいただけますでしょうか。
藤原:ズバリ「日本の学校教育界の正解至上主義を崩していくこと」です。
私が校長になった頃、当時の公民の教科書では、これだけダイナミックな経済にもかかわらず、「和同開珎の写真付きで、貨幣とは?」というところから語っていて、本当に愕然としました。
政治の授業でも、衆議院と参議院は何人ずつ、といった子どもたちの興味とは一番縁遠いところから始まっている。
それより、たとえば経済なら、
「ハンバーガー店の店長になって、儲かる店にするにはどこに出店すればいいのか?」
とか、政治なら、
「地域の自転車放置問題を、自分たちが市議会議員だとしたらどう解決していくか」
というような身近なところからスタートすればいいのに、と。
ちなみに、そのような身近なところから世の中を語り、正解のない課題に対して納得解を出すための教科書として書いた、私の3作目の著書『人生の教科書[よのなかのルール]』は高校の先生たちに評判で、「よのなか科」というアクティブラーニング(学習者中心の主体的で協働的な学び)型授業の開発に結びつきました。
正解が1つではない課題について、生徒だけでなく地域社会の大人も入れて一緒に議論する、という授業です。
2000年からつくり始めて2003年には授業のスタイルとして確立して以来、和田中では週1回2時間、年間50回、5年間で250回、「よのなか科」の授業を行いました。
その後に赴任した一条高校(奈良県)や、今も山梨県・千葉県の中学・高校などで、年に50回以上の授業を続けています。
今では文科省も推進していますが、情報編集力の基礎となる「思考力・判断力・表現力」アップのためにアクティブラーニングを世の中に広めていこう、という世の中全体の動きの中で、「よのなか科」は最初の、根っことなる手本になっているんです。
星:ここまで藤原さんの考えや取り組みを聞いて感銘を受けるとともに、共感する部分が多々ありました。
実は、従来の教育でやってきたような、正確に早くたどりつくことばかり続けていると、クリエイティブの部分がダメージを受けるという研究結果がスタンフォード大学でも発表されています。
つまり情報処理力ばかり鍛えていると、これからの時代で必要な「情報編集力」が育っていかないということですね。
また、日本の教育を見ていると、知識やスキルを身につける前提ができていないまま、いかに知識やスキルを詰め込ませるか、ということにフォーカスされがちだと感じます。
たとえば、知識を習得させるためのコンテンツとして、より難しいもの、より正確なもの、より役立ちそうなものを、意味もわからず日本に持ち込もうとする。
ジグソーパズルの例でいえば、より細かく小さなピースにして難しくし、あるいはピースをきれいな素材にしてみる、など。
しかし、前提としてまず、成熟社会で必要な「レゴ的」な考え方を身につけていない限り、本当に世の中に必要とされるものを、つくり上げることはできませんよね。
藤原:はい。まさに「よのなか科」で取り組んでいる、アクティブラーニングを通して情報編集力や「自分の頭で考える力」を身につけることが重要です。
星:そうした前提からしっかり改革いこうよ、という藤原さんの意図やメッセージが力強く伝わってきます。
藤原:私の覚悟としては、「たった1人からの教育革命」という強い思いがあり、もちろん1人ではなく、いろいろな人を巻き込んでいくわけですが、2020年代中に成し遂げるぞという気合でやってます。
星:成長社会から成熟社会に変わっていく中で、「正解主義の教育」を改革したいという確固たる熱意を持たれているからこそ、これほどまでに精力的に教育改革の活動を続けられているということがすごく腑に落ちました。
このたびは、大変有意義な時間を本当にありがとうございました。(おわり)