殿様は東京に移り、5年後に地元に帰ってこられたときにお会いしたら洋装だった。若君は、英国に留学されているとのことだが、同僚の息子で秀才だったのが、世話役兼家庭教師として若君と一緒について行くそうで、前途洋々だと父親は大満足。
一方、仲間では、武士の商法で失敗したりするのも多いし、尋常小学校ができたのでそこの教員になったのもいる。武士と庶民の間の結婚もできるようになったので、娘は城下のそこそこの商家に嫁いだ。お武家様の娘を嫁に取ったというと家柄の飾りになるし、読み書きができるのが評価された。ほとんど仕事らしいものがなくなった我が家にも少し援助してくるので助かっている。
お城は廃城令というのが出て、ほとんど壊されて、お風呂屋のまきになったりした。ただ、城門は寺院の門に転用されたりしたし、櫓(やぐら)もひとつだけ、役所の倉庫代わりという名目で残され、武士の末裔(まつえい)にとっては、特権階級だった逝きし世の記憶になっている。
このように江戸時代の普通の武士は、実は「武士道」とかいうものとは縁遠い世界に生きていた。実在していたのは頑張ってもあまり給与は変わらないが役得や昇進の競争に明け暮れる「サラリーマン武士道」であって、現代日本のサラリーマンに見事に受け継がれていた。
しかし、彼らは幕末になると荒波にもまれ、本人のスキルや実力が問われるようになった。あるいは、武士であったときのささやかな遺産を上手に活用した者もいた。いずれにせよ、彼らは令和の日本のサラリーマンたちに極めて近いものがあった。
(徳島文理大学教授、評論家 八幡和郎)