築いてきたものを一度捨てて
慣れ親しんだ場所から飛び出してみる

布袋 20歳の時と同じように、人と一から出会って、コミュニケーションをして、小さなライブハウスに仲間たちと一緒に楽器を運んで演奏をする。

 海外でもそういう骨太な体験ができたので、それは大きな自信となり、喜びとなり、「また、自分を信じられる」と思ったんです。

田中 20歳の頃と同じような経験を、50歳を前にイギリスで経験してみて、どうでしたか?

田中慶子氏プロフィール田中慶子(たなか・けいこ)
同時通訳者、Art of Communication代表。ビル・ゲイツ、デビッド・ベッカム、U2のBONO、ダライ・ラマなどの通訳を経験。「英語の壁を乗り越えて世界で活躍する日本人を一人でも増やすこと」をミッションに掲げ、英語コーチングやエクゼクティブコーチングも行う。著書に『不登校の女子高生が日本トップクラスの同時通訳者になれた理由』(KADOKAWA)、『新しい英語力の教室 同時通訳者が教える本当に使える英語術』(インプレス)。

布袋 体力は別として、年を重ねたことで、自分の良さや悪さ、可能性やリミットも、理解できていた。

 東京では、これまでのキャリアや環境に甘んじていた部分もありました。そしてそれは逆に自分のリミットにもなっていました。

 でもロンドンではキャリアに関係なく、「とりあえず音を出してみようよ」と。まっさらなところでストレートに音楽でコミュニケーションすることができたのが良かったですね。

田中 日本ではスターでしたが、それをあえて捨てたんですね。

布袋 僕の根本はやはり、ギタリストです。エリック・クラプトンも自身で歌うけれど、根本はギタリストですよね。BOØWYというバンドでブレイクして、その後ソロになったとき、ギタリストとして、ギターミュージックを世に広めたいと思った。そのためには注目されることが必要でした。

 それで、当時はまだ日本では珍しかった、歌うギタリストという立ち位置を築いたんです。ですので、日本でこのような形で多くの人に知ってもらえるようになったのは、あくまで結果的に、ですね。

目標ばかりを見ていると
途中の景色を楽しめなくなってしまう

田中 冒頭で「何から始めたらいいかわからない」という若い人が多いという話をしましたが、今のお話を聞いて、必ずしもきっちりと目標を定めてから向かう必要はなく、まずは向かってみて柔軟に進んでいくことが大切だと感じました。

布袋 目的地ばかり追っていると、途中の景色を楽しめなくなってしまいますからね。それはもったいないですよね。飽きっぽく、ひとつやると次に行きたくなるのが、「布袋寅泰」というアーティストとしてのカラーでもありますから。

「チャレンジ」「チェンジ」、そして「アドベンチャー」ですね。冒険する気持ちだけは忘れないようにして来ました。冒険を重ねてきたので、瞬発力や即興力は磨かれたと思います。

 瞬発力は、バンドによる演奏で実は非常に大事だったりするんです。イタリアのズッケロ(Zucchero/イタリアで国民的人気を誇るシンガーソングライター)に信頼されるようになり、ヴェローナ(イタリア北部の都市)にある大きな素晴らしいコロシアムでの公演に呼ばれたとき、1万人の観客を前に、ぶっつけ本番で、まったく知らない曲をセッションしたこともあります。

 リハーサル前は2曲を一緒にやる予定だったのですが、本番前に「3曲やるよ、(3曲目)できるよね?」と言われて、とっさに「できる」と答えた。「できない」と答えたらそこで終わってしまう。1曲でも多く一緒にやりたかったんですね。それで本番で、ベーシストが押さえるコードを横目で見て、次のコードを予測しながら演奏しました。