池上彰が語る「地味だけどすごく聞き上手、その人は“スパイ”かも」写真はイメージです Photo:PIXTA

「スパイ」と聞くと、映画や漫画の主人公のような、魅力的で目立つ人物を想像する人は少なくないでしょう。しかし、実際は違います。目立たずひたすらに任務を遂行し、成功しても決して明るみに出ない――それこそが、本物のスパイなのです。

※本稿は、池上 彰『世界史を変えたスパイたち』(日経BP)の一部を抜粋・編集したものです。

スパイとはどのような人物か

 本来、スパイは地道に情報を収集し、分析するのが仕事です。CIAのスタッフも、私たちが思うような「筋骨隆々で、殺人術に長(た)けた武闘派」などではなく、いかにも青白きインテリといった風情の人物が多いといいます。CIA職員の中には、情報を収集したり、他国内で諜報網を形成したりする工作責任者(ケース・オフィサー)として現地での協力者(エージェント)を作る任務を遂行する人よりも、そうして各地で集めてきた情報を分析・評価する任務に就いている人の方が多いのです。

 情報収集に当たるスパイであっても、ソ連のリヒャルト・ゾルゲのような目立つスパイは珍しく、実際には極めて地味で、目立たない人物がケース・オフィサーやエージェントとして活動しています。もちろん、その身分や経歴は外交官や大使館職員、駐在武官(日本では防衛駐在官)や、ビジネスマンなどといったレジェンドを装っており、スパイであることは周囲にはみじんも感じさせない振る舞いをしています(編注:スパイが身元を隠すために作る偽の経歴のことを「レジェンド」や「カバー」という)。

 以前、私がインタビューした元CIA工作員は、快活な好人物でした。目立たないながら、話をすればつい話し込んでしまうようなタイプでした。私たちはスパイというと、映画『007』シリーズのジェームズ・ボンドのような、いかにも切れ者で屈強でありながら、どこか陰のある魅力的な人物を想像してしまいますが、元CIA職員に言わせれば「スパイは目立ってはいけない」ことが鉄則だそうです。

 そしてスパイに必要なのは「対象に取り入るために、自分とは別の人物になりきる能力」。つまり、レジェンドを徹底的に演じきる能力であり、対象に胸襟(きょうきん)を開かせる能力です。

「これと言って特徴のない、地味な印象だが、非常に温和で、なにせ聞き上手。会ってからそれほど時間がたっていないのに、家族の話や交友関係、さらには自分を正当に評価してくれない職場の愚痴にまで辛抱強く耳を傾け、励ましてくれる。だから気をよくして、会社が始めようとしている新事業のことまで、ついつい喋りすぎてしまった」

自分がスパイであることを家族にも話せない

 もしあなたがこんな経験をしていたとしたら、その相手は「スパイ」かもしれません。まさか、と思うでしょうか。「スパイなんて、映画の中の話でしょ」「自分が狙われるわけがない」「あんな地味な人がスパイ?」などと思った方は要注意です。

 スパイは家族にも自分の任務を話すことができません。家族でもわからない素性を、工作対象とされた人物が見破るのは至難の業(わざ)なのです。

 私は、ソ連のKGBのスパイとして、ソ連の通信社の記者をレジェンドにして日本で活動していた人物にも話を聞いたことがあります。記者としての仕事をしながらスパイ活動をするのは大変な重圧だったそうです。日本国内で人脈を形成することで、自分を信頼する人が増える一方で、実際は、その人を欺瞞(ぎまん)して情報を収集するために利用しているわけですから、そんなことをする自分への自責の念に苛(さいな)まれることも多く、ストレスが大きかったというのです。彼は、それに耐えきれずにアメリカに亡命してしまうのですが、ソ連に戻った同僚たちの中には、精神的重圧から心を病む人もいたそうです。スパイも人間なのですね。

 スパイが最も活躍するのは、戦争などの国家の行く末を左右するような時ですが、戦前の日本もスパイによる諜報活動の標的となり、また自らも諜報活動を行っていました。

 そもそも国同士が外交関係を持ったり戦争をしたりする以上、相手の国の事情を知っておく必要があります。『旧約聖書』にもスパイ活動の話が出てきますし、古代ギリシャでもローマでもスパイ活動はつきものだったのです。