「スポーツエリート」しか活躍できない競技は伸びない

 よく言われることだが、「勝利至上主義」はスポーツをどんどん「エリート化」させるという問題がある。

 両親もアスリートだったとか、生まれながらに恵まれたセンスと体格を持つような子どもたちは、環境的にも幼い頃からその競技をやっているのでどんどん才能を開花させていく。指導者としても世界に通用するような逸材を育てているので、やり甲斐がある。

 だから、競技としても世界に通用するアスリートはどんどん出てくる。しかし、一部のスポーツエリートたちがしのぎを削る世界になってくると、一般の子どもは入りづらい。敷居が高くなれば、競技人口がじわじわと減っていく。そうなると、観客や視聴者数も頭打ちになっていく。「世界一」をめぐる国際試合になれば「日本の勝利」が好きな「にわかファン」が瞬間風速的に増えるが、国内リーグなどを観戦するファンが増えるわけではないので、超的には衰退していってしまう。

 スポーツが過度な「勝利至上主義」に陥ると、このような負のスパイラルが起きがちだと言われているのだ。

 だからこそ、WBCをオリンピックのように、国威発揚や景気回復に結びつけてはいけないのだ。

 日本は1964年に人口が増えて、GDPが成長をしたタイミングと、「たまたま」メダルラッシュの東京オリンピックが重なったことで、「スポーツで日本が世界一になるようなところを見せれば、国民が勇気を与えられて社会全体が元気になる」という妄想を抱くようなってしまった。アスリート個人の活躍を、日本人全体の活躍へと重ねるという特殊な考えが広まってしまったのだ。

 こういうおかしな考えを捨てて、スポーツは純粋に競技として楽しむようにならないかぎり、日本のスポーツは衰退するだけではないか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)