「球団がなくなってもいいんですか?」

 一方、地元との関係構築をうまく行うことでチームの活性化に成功した例としては、2005年以降のプロ野球・千葉ロッテマリーンズの事例がある。

 マリーンズの前身となるロッテオリオンズは千葉への移転前、川崎球場を本拠地としていた。もともと川崎球場は大洋ホエールズ(当時)の本拠地であったが、ホエールズが横浜スタジアムに移転したことで、その後釜に滑り込んだのである。

 その前には、宮城球場を半フランチャイズとしたことや、荒川区の東京スタジアムを本拠地としたこともある。余談ながら、この東京スタジアム跡は筆者の自宅から自転車で十数分の距離にあるのだが、「こんな狭いところに野球場が入るのか」と思うような下町の住宅街である。このように次々と本拠地を移転することからロッテ球団を一時期「ジプシー球団」と呼ぶ向きもあった(ここでは文脈上「ジプシー」という言葉を用いたが、現在「ジプシー」は差別用語であるとして一般には「ロマ」と呼ばれること断わっておく)。

 現在の千葉マリンスタジアム(現在の呼称はQVCマリンフィールド。便宜上、以下マリンスタジアムとする)を本拠地とし始めたのは1992年からである。マリンスタジアムは千葉市幕張の海浜地帯に位置し、バブル真っ盛りの1990年に完成した。このタイムラグから分かるように、プロ野球球団の誘致は見据えていたものの、当初から当てがあるわけではなく、もともと千葉市や県が市・県のスポーツ振興に使うために設立した球場である。所有も市・県であり、運営も基本的に行政が行う。そのため、球団が球場運営にも関与する(多くは保有もする)海外のメジャーなプロチームのスタジアムに比較すると、いかにも殺風景かつ、「お役所的」な運営の施設であった。

 マリンスタジアムには、最寄駅から遠いこと(徒歩15分程度と、関東の球団では最も遠い)、そして強い海風、時には霧がかかるという物理的、地理的な弱点もあった。チームも決して強いわけではなかったことから、2000年代の前半までは、一部の熱心なファンを除けば、必ずしも「マリーンズの試合を見に行こう」という人間は多くなかった。筆者もこの時期に試合を見に行ったことがあるのだが、閑古鳥が鳴いていた往時の川崎球場ほどではないものの、新しい球場の割にはうら寂れた印象を持った記憶がある。

 それが大きく変わったのは新しい球団社長が着任した2004、2005年頃である。ちょうど2004年にはあの世間を騒がせた球界再編問題があった。近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併交渉を機に、他球団の合併も持ち上がったのである。その中心にいたのがマリーンズであった。ホークス、ライオンズ、ファイターズなどとの合併が取りざたされた。特に、ちょうど経営難にあったダイエー傘下のホークスとの合併については、「福岡ロッテホークス」実現手前までいったとの噂もある。いずれにせよ、せっかくやって来たプロ野球団が、十数年で消えてしまう可能性が生まれたのである。

 ロッテ球団は、この困難な時期にあって、「球団が千葉から消えてしまっていいのか」ということを市・県との交渉の材料とした。プロ野球チームを失ってしまうことは、市や県のステータスにも絡んでくるし、選挙を抱える首長にとってもバツのいい話ではない。結果、すでにある程度のサポートは引き出していたのだが、敷地の利用や売店の出店、周辺施設との連携などで、さらに大幅な譲歩を勝ち取ったのである。そして、球場周りのスペースを活用して毎日楽しいイベントを開催するなど、ファンサービスを強化した。これらのサービスは、他球団が視察に来て参考にするほどであった。2006年には球団が千葉マリンスタジアムの指定管理者となって運営を行うなど、ロッテはより地元密着、ファンサービス充実に努めていく。

 2005年はちょうど戦力も充実していた。春のセ・パ交流戦で優勝、その勢いをかって、プレーオフでホークスを下して日本シリーズに進出し、阪神タイガースを4連勝(4試合の総得点は33-4の圧勝)で撃破し、日本一の座についたのである。ファンサービスも実力も日本一となった瞬間であった。

 筆者もちょうどこの年、マリンスタジアムに試合を見に行ったのだが、「これがあのマリンスタジアムか?」とその変容ぶりに驚いた記憶がある。球場の外のあちこちでパーティらしきものが開かれ、多くの人で賑わっていたのだ。つい数年前までは行政側の所有で全く球団が有効活用できなかったことを考えれば雲泥の差であった。地元自治体の協力の取り付けに加え、球団の営業努力がうまく組み合わさった結果といえよう。