「鬼の連藏」石井監督も認めた
大澤明の活躍ぶり
そして4年生の春、大澤はマウンドに戻る。リーグ戦の1回戦は小宮山、2回戦は大澤というローテーションで、大澤は春2勝、秋3勝を挙げた。なんといっても圧巻は1989年春の法政大との3回戦。当時の法政は前年秋まで3連覇中(その春も優勝して4連覇)。
その強力打線を大澤は6安打1失点に抑えて完投勝利。早稲田は法政から13季ぶりの勝ち点を挙げたのだった。「奇蹟の投手」の所以である。
「鬼の連藏」の石井監督をして、「よく走り込み、よく投げ込みました。真剣にやっている人が活躍するのは、良いことです」と言わしめた。本気になった人間は何でもできる。大澤の話は、今の学生にも大きな勇気になる――そう現監督の小宮山は目を細めたのだった。
小宮山は常々、「大澤のような部員が出てきてほしい」と話していた。先の週刊ベースボール増刊号は、小宮山が母校の監督に就いたその春に出ている。「この同期の記事を、今の学生に読ませたい」というタイミングに他ならない。
そしてこの4月、大澤明が母校のグラウンドを訪れ、部員たちに力のある言葉を投げたのである。
翌日の取材で、ここまで述べてきたような胸が熱くなるエピソードを監督の口から聞いた。そのとき、ある作家の文章を読んだ際に燃えるような感情を抱いたことを思い出した。
芥川賞作家・高橋三千綱の言葉だ。スポーツは華やかで爽やかで楽しいことばかりではない。真剣にスポーツに打ち込む青年の心理を鋭くえぐる骨太の文章。それをここに引く。
「(前略)運動は地味な努力の積み重ねであり、やっている者は、何十回となく、もうやめようと思いつつ、ポンコツになった身体に訳も分からないままムチ打ってやり抜いていく。そこに打算はない。自分にうち克ちたいというきれいごとも通用しなくなり、ただひたすら、今、ラクな方におりてしまったら自分がいなくなってしまうのではないか、という恐れと、運動を好きで始めたときの純粋さを失いたくないという意地があるだけである。そして、それを支えているのが、非常に地味な努力なのである」(『BY THE WAY』新潮文庫)
高橋三千綱は剣道部員だった。「(猛稽古で)竹刀が持ち上がらなくなり、情けなさに震え、それでもどうすることもできずに、竹刀の替わりに身体を相手にぶつけていくのが、毎日だった」と書いている。