仕事量が減らないならば、週4日勤務を実現するためには1日の労働時間を長くするか、労働効率を相当上げなければならないということになります。この記事で従業員側からは「時間によって価値を測定するのは不適切」「重要な尺度はアウトプット(生産量)だ」との意見が寄せられています。一方、企業側は「仕事を時間によって測定する方法をやめるのは難しい。給与と生産性は連動させる必要があり、労働時間は生産性の代用になる」と言います。つまり、生産性向上には限度があって、基本的に生産量を上げるためには、ある程度労働時間が確保されなければならないというのが、企業側のロジックです。

目指すのはアウトプットの向上ではなく
良いアウトカムであるべき

 私はこれらの記事に少し違和感を覚えました。冒頭で紹介した英国の実証実験は週休3日制の導入によって、“働くために生きるのではなく、生きるために働く世界の構築”を目指すとしています。しかし、この連載の以前の記事『日本人の生産性の低さは「給料」を上げれば全て解決する』でも触れたように、ワークライフバランスにおける「ワーク」と「ライフ」、働くことと生きることは、果たして対立するものでしょうか。

 記事に挙がっている議論はいずれも「できれば働かない方がいい」という考え方に基づいています。しかし、働くことが生きがいになる人もいます。「労働は苦役」という昔からのキリスト教的価値観だけを尺度にするのは、私には違和感があるのですが、どうもこの週休3日制に関する議論には、こうした古い価値観が色濃く残っているように感じます。

 また、ウォール・ストリート・ジャーナルの記事に登場する従業員側にも企業側にも、大きく欠けている視点があります。両者は「価値」=「生産量」であるという点で一致しています。従業員側は「生産量は時間ではない」、企業側は「生産量、生産性は労働時間に置き換えられる」という点で意見が分かれているだけです。

 ここで重要とされている尺度は生産量や生産性、すなわち「アウトプット」です。しかし価値がアウトプット、つまり「何かをやったこと」の積み重ねであるという考え方自体が、時代遅れではないでしょうか。

 私が現在手がけているアジャイル開発やプロダクト開発の世界では、近年、アウトプットと「アウトカム」の違いがよく取り上げられます。アウトカムとは、アウトプットによって部署や顧客といった対象にもたらされる影響や得られる効果などの結果を指します。

 仕事の本来の目的はアウトカムにあります。目指すアウトカムのためにタスクを定義して、タスクを完了、つまりアウトプットを出すのですが、アウトプットが出たからといって必ずしもアウトカムが向上するとは限りません。