努力したにもかかわらず内定をもらえなかった結果、「就職留年」を選ぶ人もいる。我究館卒業生の佐伯優子さん(仮名)もその一人だ。小学校から大学までを親の決めた一貫校で過ごし、就活では、”就職したら親が喜ぶ”企業を受けるも不採用。学生時代は、産学連携イベントに、ボランティアにと積極的に活動してきたのに……「一体、自分の何がだめなのか」をいくら考えても分からなかった。そんな彼女が崖っぷちで取った行動とは。
内定なんて簡単に
取れると思っていた
――大学3年次での就活が不本意だった人も少なくないと思います。就職留年を機に我究館に入る人もいるのですか。
藤本館長 多くはありませんが、珍しいケースではありません。ただ、内定は得たものの志望業界・業種ではなかったためもう1年チャレンジという人と、一生懸命やったのに1社からも内定がもらえなかったという人がいます。
問題は後者で、自信を持って就活に臨んだだけに自己不信に陥ってしまう。そうなると、せっかく留年してまで我究館に来ても、自己分析の段階からつまずいてしまうことがあるのです。佐伯優子さん(仮名)もその一人でした。
大手電機メーカーで半導体調達を担当。入社3年目。小学校から大学まで一貫校で過ごし、大学で“東京出身以外の学生がいること”に衝撃を受けたほど外の世界を知らなかった。3年次の就活では、”親が喜ぶ”企業だけを受けて内定が得られず就職留年を選択。4年次に我究館に入館。趣味は、子どもの頃から続けている料理、特にお菓子作り。イラスト:ソノダナオミ
佐伯優子さん(仮名) 私は、自己分析の材料はたくさん持っているつもりでした。
高校生の時には産学連携プログラムに参加して優勝したり、病院に入院している子どもたちのためのボランティア活動をして良い評価をいただいたこともあります。大学時代にはいくつかのアルバイトを通じて、自分なりに社会の厳しさは実感していました。
大学3年生の就活では、面接でこうしたガクチカを語れば「内定なんて簡単に取れるだろう」と思っていたんです。ところが、最終面接まで行った会社でも内定がもらえなくて。
大人の人と話すコミュニケーション能力はあると思っていたのに、「一体、自分の何がだめなんだろう」と、いくら考えても分かりませんでした。
藤本 自分で考えてみて分からなかった――でも、その後の決断は早かったですね。
佐伯 友達は3年生の6月に内定をもらっているのに、私には一つもない。この時点で、留年して来年もう1回やろうと決めました。