ほとんどの学生が、自分がどの業界に進むべきか皆目見当もつかない状態で就職活動の時期を迎える。それだけに、就活の最初のステップで行う「自己分析」が持つ意味は極めて大きい。自身の歩みを図に描く自己分析手法「我究」で就活生を支援する我究館・藤本健司館長の元には、受講生からさまざまな悩みが寄せられる。本連載では、それらの中から特徴あるものを選び、同様の課題を克服して社会で活躍する我究館卒業生の例を、藤本館長との対談形式で紹介。第1回は「自己肯定感」をテーマに取り上げる。
このまま親の期待通りの「エスカレーター人生」を歩むのか
――コロナ禍での大学生活を送る自分には、就活面接で話せるような特別な経験がないと悩む学生が多いと聞きました。
藤本館長 多いですね。自分は「有名大学じゃない」「留学経験がない」、コロナ禍で「ガクチカがない」。だから、憧れの業界・企業があっても初めからあきらめている「自己肯定感」が低い人。たしかに、自分に自信が持てなければ、不利どころか内定は遠いでしょうね……。実は、今日来ていただいた卒業生の木下さんも、今のイメージとは裏腹に、初めはかなり自己肯定感が低かった印象がありました。
新卒で入社した外資系化粧品メーカーを経て国内IT企業へ。中小法人向け営業を担当。幼稚園から一貫校で学び、系列の女子大学に進学。「外の世界に触れたい」思いから大学2年の時に米国の大学へ交換留学。「親が期待する安泰な進路の選択」に疑問を抱き、帰国後、我究館に入館。イラスト:ソノダナオミ
木下美子さん(仮名) そうでしたね(笑)。生い立ちを振り返ってみると、私は、親の言うことは絶対という厳しい家庭環境で育ち、特に母はずっと怖い存在でした。今思えば、母に気に入られたくて、認められたいのに怒られて、落ち込んでの繰り返しでした。
母と激しくやり合う反抗期が、延々中・高・大と6年以上続いて、また、妹が母とうまく関係を築いていたことも悔しくて、「私なんて何をしても否定される」「私だけ何もできない」という自己否定がかなり強固になっていました。
――「我究図」(次ぺージ)を見ると大学在学中に米国に留学されています。それは、生い立ちと何か関係があったのですか。
木下 幼稚園から一貫校に通って、系列の女子大までエスカレーターで進学しました。毎年卒業生の7~8割程度が、親の勧めで総合商社の一般職、金融機関のエリア総合職、エアラインなど、安泰といわれる大手企業に就職します。私の両親もそれを期待していました。
でも、「就職先までエスカレーター式に決まっていく人生」に、次第に恐ろしさを感じるようになったのです。「これでいいのだろうか」。そう考えて外の世界を見たいと父に留学の意思を伝えると、父は、留年禁止と経済的負担を理由に「交換留学しか認めない」と言いました。
何とか交換留学生の資格を得て、大学2年の夏から約1年間、米国・オレゴン州の大学へ。これまでの学生生活で初めて、異なる環境で育ってきた人たち、多くの国や大学から来た人たちと出会えた経験でした。そんな海外生活で、いや応なしに自分と向き合わざるを得なくなった結果、再び「本当にこれでいいのか」と、自分の進む先について自問自答するようになったのです。