「内定なんて簡単に取れると思っていたのに……」 ―何がだめだったのか、我究館卒業生に実体験を聞いた!大学4年次の就活を通じて、「自分は、周囲から何を期待されているのか」を考えるようになった
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私は「親の作った箱」の中で
生きてきたんだ!

――小学校から一貫校に通う方針を取られたご両親については、どう思いますか。

佐伯 自分がいかに両親に守られてきたか。社会人になった今は、その親の気持ちにとても感謝しています。一方で、自分が親の作った目に見えない「箱」の中で生きてきたこと、箱の中では自由でも、そこから一歩でも外に出るとすぐに連れ戻された。そんな感覚でした。

藤本 大学進学を機に、自分の立ち位置が客観的に認識でき始めたのですね。

佐伯 そうだと思います。ですが、思えば、箱は窮屈であった半面、「ここにとどまっていれば安心」という気持ちを持っていたのも事実です。大学の友人たちは、私と同じような箱を、例えば門限破りのような形で越えて親から離れていきましたが。

 私は、親が用意してくれた一貫校という箱の中で周囲から「優秀」と言われ、それゆえに、ここにとどまって自身のプライドを守りたいと思っていたのです。そんな自分を正当化していたから、自己分析で自分の弱い部分と向き合うことがつらかった。でも、これ以上就職浪人はできません。だから、深夜まで泣きながらでも自分の「本音」を探り続けました。

――では、佐伯さんの「弱み」は何だったのでしょうか。

佐伯 狭い世界での過剰な自信だったと思います。

藤本 佐伯さんを見ていて「顔つきが変わったな」と思ったのは、自分の弱みをこんな言葉で語り始めたときでした。時期を同じくして志望する業界・業種も明確になっていきましたね。

――我究館に入る前、大学3年次の就活ではどんな業界・業種を志望したのですか。

佐伯 3年生の時は、親が喜んでくれそうな企業を受けていました。でも、自分で見つけた“やりたい仕事”ではなかったので、強い思いが伝えられず、軒並み最終面接で落とされてしまって。

――それで就職留年を決めたのですね。ご両親がよく許されましたね。

佐伯 それは険悪な雰囲気になりましたよ。就活のためとはいえ「留年」ですから。もちろん、同級生に就職留年する人なんていませんし。