私の“弱み”って何?
深夜まで泣きながら考えたのに……

――大学4年の時に我究館に入ろうと思ったきっかけは何でしたか。

佐伯 とにかく、「内定を取る方法」を知りたかったんです。説明会に行って「留年は就活に不利になりませんか?」と聞くと、「気にしてはだめ!」「内定はゴールではない!」とコーチに一喝されて。それで、「ああ、そうか」と思ったのを覚えています。

藤本 そう、「内定はスタート」です。何のスタートかについては、受講生自身に考え抜いていただきますが。

――受講されていかがでしたか。

佐伯 ワークシートを埋めていけば簡単に自己分析ができるものと思っていたので、正直、もう少し楽に就活対策ができないかと、とても悩ましかったです。

 自己分析のディスカッションでは、自分の弱みやイヤなところをグループで発表しなくてはいけません。でも、「自分には弱みなんかないのに」と思っていたので、内面と向き合うことがとてもつらかったです。それでも何とか、泣きながら深夜までかかって自己分析シートを仕上げるのですが、グループのメンバーからは、「それはどういうこと?」と否応なしに突っ込みが入ります。

――それでも受講し続けたのはなぜですか。

佐伯 とにかく内定が取れるよう「自分を変えたい」という一心からでした。どう変わったら内定が取れるのだろう、何がだめなんだろう。自分で考えても分からない、親も教えてくれない。何よりも「これ以上就職留年はできない!」という崖っぷちに追い込まれていましたから、「何が何でもやり遂げる!」という気持ちでした。

――結果として、現在勤務している電機メーカーを含む数社から内定を得たわけですが、ご自身がどう変わったのか、生い立ちや学生時代の経験などをもう少し詳しく聞かせてください。

佐伯 東京出身で、小中高と私立大学付属の一貫校に通い、大学も内部進学です。中学生の時に入部した料理研究部は高校でも続け、顧問の先生から部長に指名されました。料理との最初の出合いは、幼稚園の時、お受験対策で親に伴われて通った料理教室だったんです。親はバイオリンをやらせたかったみたいですが、向いていなかったようで続きませんでした。

 高校時代、料理部以外にもいろいろなことにチャレンジできたのは、大学付属だったおかげですね。一番の成功体験は、先ほどお話しした、鉄道会社にポスターを提案する産学連携プログラムでチームリーダーを務め、優勝したことです。実際に制作したポスターを駅などで掲示してもらいました。

――大学時代はいかがでしたか。

佐伯 それが――進学早々“カルチャーショック”を受けまして。私は、小学校からずっと同じ学校に通っていたので、大学に東京以外、つまり、地方出身の人がいることがまず衝撃でした。小学校の時、近所のスイミングスクールで公立小学校に通う友達と一緒になったときの感覚と似ています。

 カフェでアルバイトをしましたが、働いてお金を得るという経験も初めてでした。でも、それ以上に、大学生以外の同年代の人と初めて友達になったことが最大の経験だったかもしれません。今考えてみると、自分はなんて狭い世界で暮らしていたのかと、逆に驚いてしまいます。