「むやみに漢字が多い」
→変換機能がもたらす悲劇。「有難う御座います」「予てから」「宜しく御願い致します」など、やたらと漢字を増やしても読みづらくて、しかも印象が悪くなるだけです。
「延々と『Re:』でやり取りする」
→目くじら立てるほどではありませんが、話題が変わった段階でタイトルも変えて、新たなスタートを切りたいところ。適切にできると「気が利く人」と思われます。
「社内用語を平気で使っている」
→業界用語や馴染みのないカタカナ語も同じ。使う側は無意識かもしれませんが「無神経かつ、それを使うのがカッコいいと思っている残念な人」という印象を与えます。
「必要なときに、住所や連絡先が入った『署名』が省略されている」
→毎回署名を付ける必要ありません。ただ、資料や請求書を送れとか電話が欲しいという要件のメールなのに名前だけしか書いてないと、名刺を探したり過去のメールをたどったりする羽目になって、相手を恨む気持ちが湧いてきます。
「相手の名前を間違える」
→気をつけているつもりでも、ついやりがち。私も、たまに「石川様」と書かれたメールが届きます。それ自体は腹は立ちません。ただ、指摘するかどうか、どう指摘するか、激しく悩んで疲れます。
逆に、さっきの「私の理解力が乏しくて~」の類の「大人なフレーズ」を華麗に使いこなすことで、印象や評価を一気によくすることができます。
「言葉が足りずに申し訳ありません」(こっちが送ったメールの内容を相手が誤解しているとき)
「まことに厚かましいお願いとは存じますが」(どうしてもOKしてほしい気持ちを伝えるとき)
こうしたフレーズを使いこなすことで、トラブルを防げたり仕事をスムーズに進められたりします。
「了解」はアリ?ナシ?
メールに関係が深い問題として、避けて通れないのが「了解いたしました」の是非。今、日本には次の3種類の人が生息しています。
(1)「目上の人に『了解いたしました』は失礼であり『承知いたしました』と書くべきと思っている人」
(2)「目上の人にも『了解いたしました』で問題ないのはわかっているけど、失礼だと信じている人が多いので使わないようにしている人」
(3)「目上の人に『了解いたしました』は失礼だとする考え方は大間違いなので、堂々と使う人」
石原壮一郎著『失礼な一言』(新潮新書)
偉大な先達の調査や研究のおかげで、今は〈目上の人にメールなどで「了解」と返すのが失礼とされるようになったのは最近であり、しかも根拠に乏しい〉という説が定着しています。しかし、いったん貼られた「失礼」のレッテルをはがすのは、なかなか容易ではありません。
相手が(1)の人である可能性を考えると、いくら信念に基づいていても、あえて「了解」を使うのはリスキーです。そこが言葉の難しさであり、失礼のややこしさ。(3)は勇敢で美しい生き方ですが、(2)の姿勢も非難されるいわれはありません。
いちばん失礼なのは、たまたまの刷り込みを根拠に「了解は失礼だ」と決めつけて、使った相手を無知扱いする人です。自分自身も別の話で似たことをしていないか、「了解の悲劇」を反面教師にして自分に問い続けましょう。「了解」への理不尽な迫害を止められなかった、せめてもの罪滅ぼしの気持ちを込めて。







