「了解」はアリ?ナシ?

 メールに関係が深い問題として、避けて通れないのが「了解いたしました」の是非。今、日本には次の3種類の人が生息しています。

(1)「目上の人に『了解いたしました』は失礼であり『承知いたしました』と書くべきと思っている人」

(2)「目上の人にも『了解いたしました』で問題ないのはわかっているけど、失礼だと信じている人が多いので使わないようにしている人」

(3)「目上の人に『了解いたしました』は失礼だとする考え方は大間違いなので、堂々と使う人」

書影:『失礼な一言』石原壮一郎著『失礼な一言』(新潮新書)

 偉大な先達の調査や研究のおかげで、今は〈目上の人にメールなどで「了解」と返すのが失礼とされるようになったのは最近であり、しかも根拠に乏しい〉という説が定着しています。しかし、いったん貼られた「失礼」のレッテルをはがすのは、なかなか容易ではありません。

 相手が(1)の人である可能性を考えると、いくら信念に基づいていても、あえて「了解」を使うのはリスキーです。そこが言葉の難しさであり、失礼のややこしさ。(3)は勇敢で美しい生き方ですが、(2)の姿勢も非難されるいわれはありません。

 いちばん失礼なのは、たまたまの刷り込みを根拠に「了解は失礼だ」と決めつけて、使った相手を無知扱いする人です。自分自身も別の話で似たことをしていないか、「了解の悲劇」を反面教師にして自分に問い続けましょう。「了解」への理不尽な迫害を止められなかった、せめてもの罪滅ぼしの気持ちを込めて。