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世の中の失礼な発言の多くは、悪気なく、むしろよかれと思って発せられます。そんな「失礼な発言」をやらかす人の思考は、大きく5パターンに分類できます。石原壮一郎氏の著書『失礼な一言』(新潮新書)より、その一部を抜粋・編集してお届けします。
失礼な発言の源流をたどる
「自分は誰に対しても、失礼なことは絶対に言わない!」
そう言い切れるのは、根っからのウソつきか極端に鈍感な人だけです。私たちは生きている限り、失礼な言動と無縁ではいられません。
だからこそ、「なるべく失礼じゃない人」を目指したいところ。それは世間様からの非難が怖いからではなく(それもちょっとありますけど)、何より自分自身が日々を気持ちよく生きていくためです。
本書では小さな失礼から大きな失礼まで、多種多様な失礼を考えてきました。なぜ人は失礼な発言をしてしまうのか。しめくくりとして失礼を元から断つべく、その源流をたどってみます。
失礼な発言の多くは、ぜんぜん悪気はなく、むしろよかれと思って発せられます。それが失礼の怖いところ。本書の内容をあらためてふり返りつつ、「失礼がコンコンと湧き出す5つの泉」に注目してみましょう。
●1の泉【昔ながらの価値観】
昔と今とでは、「正解」も「常識」も大違い。昔ながらの価値観に疑いを抱かずに発せられる言葉は、失礼をまといがちです。
●2の泉【マウンティング】
「自分のほうが詳しい」「自分のほうが頭がいい」など、人は悲しいことに、何かというと自分の優位を示そうとする習性を持っています。
●3の泉【コンプレックス】
他人と自分を比較してしまうのは、人間のサガ。かなわないと感じると、悔しさや嫉妬心が失礼な言葉を言わせてしまいます。
●4の泉【無知や誤解】
相手の立場や状況に対する無知や誤解に基づいた決めつけは、失礼のモト。「自分はわかっている」と言える人が、もっとも危険です。
●5の泉【デリカシーの欠如】
気遣いがなかったり、言っていいこといけないことの分別がついていなかったり、余計なお世話だったり、多くの種類があります。
自分の常識を疑う
厄介なのは、どの泉から湧き出る水も極めて甘露だということ。それぞれ実例を挙げつつ、誘惑に打ち勝つ方法を考えてみましょう。
1の泉の「昔ながらの価値観」は、自分の知識や経験が「正義」という前提で、それを振りかざす気持ちよさを味わわせてくれます。
「おっ、気が利くね。いいお嫁さんになれるよ」
「飲みニケーションもできないようじゃ、社会人失格だな」
こうした発言をしないためには、日頃から「自分の常識」を疑う癖をつけましょう。常識に関する「トレンド」を日頃からチェックしておくことも大切です。とはいえ、今の常識を手ばなしで受け入れるのも、それはそれで痛々しいですけど。







