研究と発信を一体化し、イノベーションを促進

──デザイン研究所の役割は、具体的にどのように変化しているのでしょうか。

 組織としては、私が所長に就任した2008年にコミュニケーショングループが加わり、製品デザイン、先行開発デザインと合わせた3グループ体制になりました。以来、強く意識しているのが、製品デザインを真ん中に据えながら、イノベーションとブランディング、つまり研究と発信をセットで取り組むことです。

──17年に新種の管楽器「Venova(ヴェノーヴァ)」が誕生していますが、例えばここでは、デザインはどのような役割を果たしているのでしょうか。

 この楽器は、19世紀にサクソフォンが誕生して以来の、管楽器の新種と呼べるものです。技術的なイノベーションの核は「分岐管」を活用した音響原理で、実は90年代には確立していました。そこですぐに製品化しなかったのは、市場化の方向性が定まらなかったからです。

 そこにマーケティング側が「カジュアル管楽器」というコンセプトを与えたことで、製品化が一気に進みました。技術の側は「リコーダーと同じ運指で吹ける構造」を編み出し、デザインチームは両者をつないで「丸洗いできるメンテナンスの楽さ」「アウトドアに持ち出せる気軽さ」「約1万円からというカジュアルなプライス」といったことにつながる工業デザインをきわめていきました。そして製造部門は実現に向けて新たな成形方法を確立しています。100年先も愛用される管楽器となるよう、商品ロゴやパッケージ、広告シーン提案にといったブランディングにも、デザイン研究所が広く深く関わっています。

ヤマハの楽器デザインに学ぶ、長期ビジョンとビジネスをつなぐ視点©Yamaha Corporation

──製品化に至らず、研究だけで終わる活動もあると思います。KPI(重要業績評価指標)が曖昧なままで、先行開発のモチベーションを保ち続けるのは難しいのではないでしょうか。

 モチベーションは非常に高いです。というのも、研究と発信は常にセットで、研究の成果はイタリアのミラノサローネをはじめ国際的なデザイン展で積極的に発表しています。それをきっかけに、社内では製品化が難しいアイデアを製品化してくれるパートナー企業が得られることもありましたが、何より大切なのは豊かなリアクションが得られることです。そのため、どの展示会でもデザイナー自身が現場に立ち、直接お客さまに説明しています。

 研究活動は内に秘めてはいけない、というのが私の信念です。「自分らしさ」は自分の内側だけを掘り下げても分かりません。外に向かって発信し、反応を受けながら自らを捉え直し、語り直していく、そうしたプロセスの積み重ねによってアイデンティティーは鍛えられるものだと信じています。

自分らしく意訳しながら「意味」を探究していく

ヤマハの楽器デザインに学ぶ、長期ビジョンとビジネスをつなぐ視点Manabu Kawada
ヤマハ デザイン研究所 所長

1992年、千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、ヤマハ入社。デザイン研究所にてスポーツ 用品のデザインを皮切りに、さまざまな電子楽器、オーディオ機器、音楽制作ソフトGUI等を幅広く担当。2001年より英国王立美術大学院(RCA)に留学、03年復職。2005年よりミラノサローネでヤマハデザイン展を推進。同時に電子楽器デザインのグループ長、プロダクトデザインセンター長を経て、08年6月より現職。
Photo by YUMIKO ASAKURA

──川田さんが今、デザイン研究所のデザイナーの方々に求めるものは何でしょう。

 少数精鋭の組織ですから、人物像という意味では、今いるメンバーの誰にも似ていない人が欲しい。「自分らしくあること」が最も大切です。ただし、「自分らしさ」は「独り善がり」とは違う。人の意見に耳を貸さず、自分のアイデアだけに固執する人は困りますし、かといって周囲の意見を聞き過ぎて何も決められないようでは仕事になりません。多様な意見を受け入れつつ、自分なりにそしゃくして形にできる能力──自分なりに翻訳できることが重要ですね。

──概念とかたちをつなぐ「翻訳」の部分で、自分らしさを発揮してほしいと。

 翻訳にも「直訳」と「意訳」があります。例えば、あるミュージシャンに「赤いキーボードが欲しい」と言われたとして、そこで赤くペイントしたキーボードを提案するのは直訳です。「赤が欲しい」に込められた意味を、セクシーさかな? エネルギッシュさかな? それとも……と、掘り下げて考え抜いた結果、最終的に黒いキーボードを提案して「これだ!」と喜ばれるとき、意訳に成功したことになる。期待を裏切っちゃいけないけれど、予想は裏切った方がいいのです。

 こうした「意訳」に楽しさを見いだせなければ、本質を押さえた革新は生まれません。本質だけでは進歩がないし、革新だけではリスペクトがない。変革を重ねても残っていく本質こそが、時代を超えて引き継がれます。企業活動も、対外的な目線を常に意識しながら、その企業にしかできない挑戦をやり切ってこそ信頼されます。パーパスやビジョンは、そのための指針ではないでしょうか。

──楽器のデザインを、長期ビジョンとプロダクトを結び付ける視点と読み替えれば、あらゆる企業にとって重要な示唆が含まれていると感じます。

 ロベルト・ベルガンティ氏が提唱した「意味のイノベーション」という概念がありますが、ヤマハデザイン研究所が追求しているのは、まさに「楽器の意味のイノベーション」であり、「音・音楽が持つ意味のイノベーション」なのです。

 19年のミラノサローネに『Sound Gravity』という作品を展示しました。自ら音を奏でるチェロと添い寝ができるソファのような装置です。来場してこれを体験した人が、「あ、楽器が生きてる!」と言ってくれました。楽器の「震え」を体全体で感じて、存在を意味付けてくれたのです。私たちは今、演奏の道具としてそこに「ある」だけでなく、ペットや相棒のように「いる」ことで価値を生み出せる楽器の可能性を追求しています。それが本当に意味付けとして世の中に届くかどうかを検証したくて、展示会でも発信をしています。

ヤマハの楽器デザインに学ぶ、長期ビジョンとビジネスをつなぐ視点©Yamaha Corporation

──作り手と受け手が響き合うところに意味が生まれてくるのですね。

 デザインは「思いを形にすること」だとよく言われます。でも、一方的な「思い」は、企業側の「意思」や「意図」、ともすると「思い込み」にすぎないかもしれません。それに対して、「意味」は、受け手とのインタラクションから生じます。相手に伝わって初めて「意味」となるのです。私たちのブランドプロミスは「Make Waves=人々が心震わす瞬間」です。プレーヤーの「思い」が楽器を通して音になり、それが空気を震わせて、聴く人の心に響き、心を震わせる──。ここまで届いてようやく、楽器は楽器たり得るのだと思っています。

公益財団法人日本インダストリアルデザイン協会(JIDA) https://www.jida.or.jp/
プロフェッショナルなインダストリアルデザインに関する唯一の全国組織。「調査・研究」「セミナー」「体験活動」「資格付与」「ミュージアム」「交流」という6つの事業を通して、プロフェッショナルな能力の向上とインダストリアルデザインの深化充実に貢献しています。