明治初期の松方財政は物価を2割近くも低下させるデフレ政策だったが、マルクス経済学者を含む多くの経済史家に高く評価されている。これに対して、故中村隆英東大教授は、異を唱えている。デフレ政策をどう評価するかは、現代の金融政策を巡る論点でもある。中村教授の説を確認しながら、松方財政を再評価したい。(名古屋商科大学ビジネススクール教授 原田 泰)
松方財政に対する
これまでの評価
マルクス経済学者の日本資本主義発達史によると、松方財政は次のように評価されている。
「西南戦争を契機にそれ[インフレーション]が激化するにおよんで、いたずらに投機的小企業の簇生(そうせい)をまねき、政府が望むような資本家的企業の発達はかえって阻害されるようになった。そこで1881年以来松方正義は幣制の統一、兌換(だかん)制度の確立を目ざして幣制整理をおしすすめていくことになるのであるが、それとともに物価は安定し、輸出は増大し、資本主義の展開は軌道にのることになった。そして日本銀行が設立され、国立銀行が私立銀行に転化され、銀本位制が確立されることによって、貨幣制度・信用制度も整備された。だがその反面、この過程で農民層の分解は急激におしすすめられ、そのプロレタリア化が促進されることとなったのであった。」(楫西光速、加藤俊彦、大島清、大内力『日本資本主義の成立II』、271-272ページ、東京大学出版会、1956年)。
マルクス経済学者が書いたものであるから、農民層が分解されプロレタリア化が進んだことが指摘されているが、松方財政への評価は高いものがある。それ以前、多数の国立銀行が設立され、西南戦争の戦費のために紙幣が乱発されインフレとなっていたのだから、紙幣の統一、インフレの抑止は当然のことであったろう。しかし、インフレを抑えてデフレにするだけで、本来の投機的でない資本家的企業が生まれ、輸出が増大するものだろうか。
このような、不況とデフレは経済の正常な過程なのだという考え方は、今日清算主義と言われるものである。清算主義とは、政府や中央銀行は不況下でも財政拡張や金融緩和をするべきではなく、不況に任せて、経済のゆがみを清算すべきだという考えである。これによって、経済の新陳代謝が進み、長期的にはより成長率が高まるという主張である。
一方、松方財政について、経済史家の故中村隆英東大教授は、「昔からの財政学の教科書には、松方という人は大変偉い人で、財政の指導者としてこんな立派な人はないと言わんばかりに書いてあります。ただ、私は今でも、それほど偉かったのかどうかわからないと思います。『手術は成功したが、患者は死んだ』という言葉があります。外科医が思い切って大手術をし、悪いところは取り切ったけれども、あまり強引にやったので、患者の方は体がもたなくなって死んだという意味です。松方財政はそういうところがあるような気がします。その意味では、松方は正直であったけれども、あれほど国内を不景気にしなくてもよかったのではないかという気がしてなりません」と評している(中村隆英『明治大正史・上』385ページ、東京大学出版会、2015年)。