「相対・表裏一体」とはどういう状態か

 例を出してみようか。

 たとえば、あなたに大好きな恋人がいたとする。そろそろつきあって1カ月になる頃。「大好き!」「愛している!」というとき、自分に「大嫌い!」の感情があるとわかるかな?

「あるわけない!」とほとんどの人が答えるわな。

 ではわかりやすいたとえを使って、2つの感情(好きと嫌い)が同時に存在するけど片方(好き)しか感じられないというのを体感してみよう。

 来週の金曜日は、ちょうどつきあいはじめてから1カ月の記念日だ。

「来週の金曜日。ちょうどつきあって1カ月。その記念に、お互いにプレゼント買って、交換しよう」とあなたは、相手に提案し、相手も快諾。だけど直前になってドタキャンの連絡が。

 その時あなたは「ええ?一週間前から約束していたのに……」ってなるだろうけど、でも好きだから、許すと思う。

「それなら、プレゼントだけ買っておいて、別の日に必ず交換しあおう」と言う。

「もちろん、ほんとごめん」

 全然いい。仕方ない。そう返す。好きやから。

 そして当日。あなたは大好きな恋人と会うつもりだったけれど、デートが延期になったので、渋谷に買い物に来た。恋人へプレゼントを買いに来たんや。駅前のスクランブル交差点。信号を待っているとき、ふと顔をあげると、交差点を渡った向こう側にあるスタバの窓に見覚えのある人影が見える。あなたの恋人や。一緒に楽しそうにしている相手は……あなたの親友や。

「大好き」があるからこそ、裏返しの「大嫌い」がある

「どういうこと?夢じゃないよね」って思う。

 あなたとのデートはドタキャンしておいて、しかもこっそり自分の親友と会っている。信号が青になったと同時に、小走りに横断歩道を渡ったあなたは、エスカレーターをかけのぼり、スタバの店内に入る。2人の後ろまで来ると、会話が聞こえてきた。

「今日、実はアイツに『2人で買い物行ってプレゼント交換しよう』なんて言われたんだけど、『用事あるから』って断ったわ。ほんとめんどうくさい。今ごろ買い物しているんじゃないかな」

「え?かわいそう(笑)。ところで、アイツには私たち2人の関係、どう言っているの?」

「何も言えるわけないじゃん。でもそのうち別れるし」

 笑いあっている2人。

 さあ、あなたはこのとき、どんな感情を抱くかな?すべてを捧げてもいいと思っていた恋人が、自分の大切な親友と浮気していたんだからね。

「ムカつく!」当然やな。

「悲しい……。裏切られた!」そう、それもあるよな。

「殴りたい!」あるな。「殺意を抱く」なんて子もおったよ。

 ちょっと想像しただけでも気づいたと思う。もうすでに複数の感情が湧いているよね。怒り、悲しみ、殺意……。まとめると「大嫌い!」って感情だと思うんだ。

 ただ、それって「大好き!」だからだよね。

 わかる?あんなにも「大好き」だった恋人に裏切られた、あなたの心は「大嫌い」の感情でいっぱいなわけだ。その激情が「大好き」だったが故だと、渦中にいるときに気づけるだろうか?

 こんな風に、人の心はどちらかの感情にハマッている状態では、もう片方の感情を感じることができない。

両極がわかれば、人生を自由に生きられる

 別の例でも伝えよう。

 これはアスリートとの対話でよくする話だ。

 運命の分かれ目となるような、大切な試合の前日。めちゃくちゃ緊張している選手がいるとする。「やっぱりふとしたとき“不安”な自分も出てきますね」と、その選手が言ってくれたとしよう。

 すると、俺はこう返す。

「心穏やかに在るものを見たらええ!それだけ“期待”している自分がいるってことや!」

 そう。すべては「相対・表裏一体」なんだ。

 不安の反対には、必ず同じだけの期待がある。まったく自分に期待していなかったら、不安なんてものもない。ここで、心穏やかに自分を客観視できれば、もうすでにあるんだと気づける。

 だから、ネガティブな自分や、弱い自分、恐れている感情や、ウィークポイントだと思っている性格に抗う必要はないねん。自分の中にある、両方の感情。両方の性格。自分にとって不快な感情もあるだろう。でも、あるものから目を背けず、味わったら執着せず手放す。

 そのちょうど真ん中にあるZerOの部分に立つんだ。ZerOの視点とは自分軸。

 ZerOの視点に立てば、その両端が、両極が見える。「なりたい自分」を目指すための選択ができる。自分の舵取りができるようになる。勝手に自分が無意識に選択した、「自信がない」だ「ネガティブ」だ「暗い」などの“片側”だけに支配されず、ありたいように自由自在に選択して生きていけるのよ。