こうして中国経済は成長した~政策を振り返る~

 振り返ると1978年12月の中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議にて、共産党は主要任務を「階級闘争」から「社会主義の現代化」に変更した。毛沢東時代に政治を優先し、経済の優先順位を下げた結果、「大躍進」政策の失敗や「文化大革命」が起き、経済は停滞した。

 その後、鄧小平の指揮で、深センなどに経済特区が設けられ、海外企業から国営・国有企業への製造技術移転は進み、工業化が加速した。ITや通信、不動産などの分野で民間企業の設立も認可された。

 こうして共産党政権は「改革開放」を進めた。また、党の権能に基づいた経済運営体制が維持された。徐々に、国営企業の分割や民営化など市場原理を取り入れ、経済運営の効率性を高めた。改革開放政策は、多くの人に党の経済政策に対する信頼感を植えつけた。

 1989年、「天安門事件」が発生した時、日米欧の経済の専門家は「中国の民主化は一気に進み、一党独裁から民主主義、資本主義経済への転換が加速する」と予想した。しかし、当初の予想と異なり、共産党の一党独裁体制は今なお続くことになった。

 90年11月、株式市場は再開された。共産党の指揮による成長分野へのヒト・モノ・カネの再配分はさらに強化された。天安門事件後、中国の実質GDP成長率は年率10%を上回ることが増えた。

 そうして多くの人が、民主化よりも党の経済政策のほうが、豊かな暮らしを送る最善策と考えるようになった。天安門事件以後、人口増加による消費増加などのベネフィットを獲得するため、海外からの直接投資は増えた。中国経済の工業化は加速し、「世界の工場」としての地位を確立した。

 90年代後半にはアリババやテンセントなど有力IT企業も起こり、雇用機会も増えた。リーマンショック後は投資による経済下支えが強化され、2010年に中国は、わが国を追い抜いて世界第2位の経済大国に成長した。