そして医師は気がつくのです。患者さんと自分の感じている時間の流れが違うということを。厳密に言えば、“流れのかたち”の違いです。医師にとっての時間の流れは過去から未来へ直線的に延びていますが、患者さんの時間は、一日単位で丸まっている。日々、その日の命に感謝しながら、一日単位の繰り返しを生きている。そのことに気づき、ハッとしたそうです。

 時間が自然に「丸まって」いく。これは、私の身にもきっと起きることでしょう(図5-6)。

 ただ、まだまだ先のことだと思い、「今、ここ」ではその実感が湧かないのでしょう。そう思いながらも、次の三つのことを私は感じました。

 一つ目は、丸まる時間をできるだけ先延ばしするために健康に気をつけて頑張ろう、ということです。インプット・アウトプットを続ける散逸系として、自分のため、周りのために「今、ここ」をしっかり生き抜こうという気持ちを強くしました。それが未来に延びる直線的な時間をより長くすることにつながるはずです。

書影:『人生は図で考える』平井孝志著『人生は図で考える』(朝日新聞出版)

 二つ目は、やがて時間が丸まったら、それを素直に受け入れよう、と。もし自分が、吟味された直線的な時間の上で“一所懸命の生”を送ることができれば、それが可能になるのではないか。そう思います。

 三つ目は、矛盾しているようですが、丸まった時間の中でも、直線的な時間上の人生のように、自分のため、周りのために真摯に生きたい、と思ったことです。ドイツの宗教家であるマルチン・ルターは、かつてこう言いました。

「たとえ世界の終末が明日であっても、私は今日、リンゴの木を植える」

 これは現実的な効用を逸脱した考えです。自分では決して、そのリンゴの木から実を収穫できないわけですから。でも、この言葉から得る勇気や希望は、現に私の生きる力となってくれます。

 たとえ時間が丸まっても、自分が存在したという意味、今なお存在しているという意義を確実に捉え、その上で自己をデザインしながら、穏やかに、素直に生きていく。そのように私は志しています。