失敗にマネーが集まる

 テスラが電気自動車にフォーカスするように、「一つの製品だけに集中する」というベンチャーのスピードに対する期待が、そこにあるからである。

「スピード」を積極的に評価するアメリカ社会の姿勢は、ベンチャーを支えるベンチャーキャピタル、さらには法律や制度などを含めて大きなコンソーシアムを構成している。

 そうしたコンソーシアムの中で意識されているのも、「未来」に対するビジョンだろう。未来がどのように変わっていくか―ベンチャーの多くはそれを予測して新しいビジネスを始める。彼らは常にリスクを取って「走りながら考える」ため、新たな事業の周囲には様々な課題が浮かび上がってくる。

 シェアリングエコノミーや暗号資産にも当初は賛否両論があったように、その課題は時に社会との軋轢(あつれき)を生む。それでも「やっぱりそっちの方に行くよね」という大きな流れに対し、常に柔軟に対応していこう、という前提が彼らにはある。

 また、アメリカのベンチャーを巡る環境について考える時、もう一つ重要なのが、「失敗」に対する捉え方が日本と全く異なることだ。

 アメリカのベンチャー企業に投資をするようになって僕が驚いたのは、彼らが事業の「失敗」を全く悪びれないことだった。日本なら、起業家は事業に失敗すると「申し訳ありません」と投資先に頭を下げるものだ。だが、彼らは同じような場面でいたって平気な顔をしている。投資家もまた、「ああ、失敗したの。次は頑張ってね」という雰囲気なのだ。

 そこで起業家と投資家の双方が共有しているのは、その「失敗」こそが大きな学びとして評価されるべきものである、ということだった。

 起業家は「失敗」を次の成功のために活かそうとし、投資家は「彼はあの失敗で学びを得たはずだ」とそれを称賛さえすることがある。実際に一度目は時価総額200億円だった会社の経営者が事業の失敗後に作った新しい会社に500億円の評価がつく―といったことがアメリカでは普通に起こる。そこに、大量のドリームマネーが集まるのだ。