健康保険創設当時の出産の多くは
産院ではなく個人宅で行われていた
日本では、病院や診療所で受ける医療のほとんどに、公的な医療保険(健康保険)が適用されている。健康保険に収載された医療行為や医薬品の価格は、国がコントロールしており、全国一律の公定価格となっている。そのため、治療内容が同じなら、原則的に、全国どこの医療機関でも同じ価格で治療を受けられる。
治療にかかった医療費は、年齢や所得に応じて決められた一部負担金を除いて、残りは健康保険が負担してくれることになっている。また、医療費が高額になった場合には高額療養費が適用され、患者の負担は一定範囲に抑えられる。
高額療養費は、所得に応じて負担すればよいよう配慮されており、70歳未満の人の高額療養費の自己負担限度額は5段階に分類されている。たとえば、医療費が100万円だった場合の自己負担限度額は、年収500万円の人は約9万円だが、住民税非課税世帯の人は3万5400円だ。
つまり、健康保険が適用された医療については、かかった医療費に関係なく、その人の経済的な負担能力に見合った額を自己負担するだけでいいということだ。だからこそ、所得に関係なく、その人の病気やケガを治すための最適水準の治療を受けることができているのだ。
だが、「妊娠・出産は病気ではない」という理由で、妊婦健診や自然分娩の費用は、長らく健康保険の適用から除外されてきた。これは、日本で健康保険がスタートした1927(昭和2)年の出産の形態が影響している。
当初、出産に対する給付は、(1)分娩費として現金給付を行う方法のほかに、任意給付として、(2)産院の収容・助産(産婆)の手当を現物給付で行うという方法も用意されていた。
健康保険における現物給付は、医療行為そのものが提供されるもので、かかった医療費は健康保険から医療機関に支払われる。一方、現金給付は、その名の通り、患者に一定の現金を給付するもので、医療機関などへの支払いは患者本人が行う。
1927年当時、出産費用に関しては、上記2つの給付方法があったものの、産院で出産する人はごくまれで、ほとんどは個人宅で家族や親戚などの手を借りて行われていた。そのため、現物給付の制度は、ほとんど使われることはなく、現金給付が定着していった。そして、1942年の法改正で、(2)のうちの助産手当への現物給付は廃止され、自然分娩は現金給付、異常分娩(帝王切開など)は現物給付という今につながる制度となっていった。
その後、時代の流れとともに、出産する場所の主流は自宅から医療機関へと変わり、1975年以降は、99%以上の女性が産科の病院や診療所、助産院などの医療機関で出産するようになっている。だが、出産に対する給付方法は改められることなく、自然分娩に健康保険が適用されることはなかった。