そして1994年、ようやく出産に対する給付の制度変更が行われた。だが、その内容は「それまでの分娩費と育児手当金を廃止して、出産育児一時金を創設」というもので、このときも自然分娩への保険適用は行われなかった。一時金の額は、分娩介助料、出産前後の健診費用、育児に伴う初期費用などを総合的に勘案して、子ども1人につき30万円が支給されることになった。

 その後、分娩費用の上昇や、産科医療補償制度(分娩中の予期せぬ事故で、子どもが重度障害を負った場合の補償を行うもの)に対応したりするために、徐々に出産育児一時金も引き上げられてきた。

 出産育児一時金は、2009年10月からは原則的に42万円だったが、少子化対策の一環として給付額が大幅に引き上げられることになり、2023年4月以降の出産に関しては50万円(産科医療補償制度に未加入の医療機関で出産した場合などは48万8000円)が給付されることになった。

一律の現金給付の一時金は
低所得層の負担感を増大させる

 このように、健康保険制度の創設当初から、出産に対する支援策はあったものの、正常分娩には健康保険が適用されておらず、自由診療の枠組みのなかで運用されてきた。そのため、病気やケガの治療費とは異なり、正常分娩の医療費は各施設の自由裁量で決められている。

 厚生労働省の「出産費用の実態把握に関する調査研究(令和3年度)」によると、2012年度に41万7000円だった出産費用(正常分娩)は、2021年度には47万3000円となっている。

 この4月に出産育児一時金が50万円に引き上げられたので、当面は、出産費用はカバーできるだろう。だが、出産費用は、年平均1%前後で上昇している。このペースで増加すると、5年後には再び、出産費用は一時金を上回ることになる。一時金の引き上げに合わせて、出産費用の便乗値上げを心配する声もある。そうなれば、いたちごっこを続けるだけで、お金の心配をしないで出産できる環境は永遠に訪れることはない。

 出産費用は、地域間や施設間の格差も大きい。都道府県別で見ると、最高額の東京は56万5092円、最低額の鳥取県は35万7443円で、20万円以上の差が出ている。一方、出産育児一時金は、子ども1人につき50万円という一律の給付だ。産院に出産費用を支払っても、余剰が出る人がいる一方で、一時金だけでは出産費用を賄えず、家計から持ち出しが必要な人もいる。

 妊産婦の負担は、地域や施設などの出産場所によって決まり、所得が高い人も、低い人も、同じ負担をしなければならない。出産費用が一時金よりも少なければ、高所得の人でも余剰が出て、家計は潤う。だが、出産費用が一時金よりも高かった場合は、低所得の人でも超過分を自己負担しなければならない。

 現金給付という形態を取っているが、出産育児一時金は健康保険の給付のひとつだ。その健康保険は、病気やケガをしたことで貧困に陥ることを防ぐために作られた制度で、すべての人が最適水準の医療を受ける権利がある。ところが、住んでいる地域によっては、低所得層に重い負担を強いる一方で、高所得層が潤う状況を作り出している。健康保険は人々が貧困に陥らないようにその原因に備える予防的な機能である「防貧機能」を持つ制度だが、これを妨げることになっている。

 本来、経済的な能力に応じて負担し、必要に応じて給付を受ける「応能負担」が社会保障の原則だ。だが、出産育児一時金は、個人の負担能力を考慮して設計されていない。一律の現金給付は、その金額だけ見れば公平だが、応能負担の原則に照らし合わせると、低所得層への配慮に欠けた制度といえるのだ。

 だが、こうした問題は、健康保険を適用すれば解決できる。