敵将と抱擁をかわした一方で
神戸・吉田監督とは目も合わせず
後半12分に交代を告げられたイニエスタは、代わりにキャプテンマークを託した山口蛍をはじめとするチームメイトと抱き合い、万雷の拍手を送るスタンドに手をたたいて応えながらタッチラインへ近づいていった。
交代出場へ向けてスタンバイしていた佐々木大樹へ笑顔でエールを送り、万感の思いを込めるようにピッチに向かって深々とお辞儀する。さらに試合中にもかかわらず反対側のベンチからわざわざ歩み寄ってきた、札幌のミハイロ・ペトロヴィッチ監督とも熱い抱擁をかわした。
だが直後に、異なる感情をあらわにした。ベンチ前で手をたたいて出迎えた、神戸の吉田孝行監督とは目を合わせようとしなかったのだ。視線を落としながら握手もせず、半ば“無視”するように指揮官の横を通り過ぎたイニエスタはベンチ前で再び顔を上げ、コーチ陣やリザーブの選手たちとタッチを繰り返した。
イニエスタの最終戦は、本拠地の名称が「ノエビアスタジアム神戸」となった2013年3月以降では歴代最多となる、2万7630人もの大観衆が駆けつけた。その一戦に、わずかに影を落とした吉田監督との一幕。試合後に臨んだ会見で、イニエスタは一度だけ吉田監督に言及した。契約を半年残して神戸を退団し、新天地を求める胸中を問われたときだった。
「自分はまだできる、選手として戦う準備ができている、チームに貢献できると日々感じてきました。ただ、監督はそのように考えていませんでした。しかし、自分にとってはそれがサッカーを続けるモチベーションにつながりました。だから、新天地でサッカーを続けたいと思っています」
過去の2度はより長く試合に出たい、神戸の勝利に貢献したい、という思いが悔しさに転じた末に、ペットボトルを蹴り上げるといった行為につながった。しかし、ラストマッチでのぞかせた怒りは理由が根本的に異なる。それは退団を決意するに至った過程に起因していると言っていい。
3年半契約での神戸移籍が発表され、世界中を驚かせたのが18年5月。さらに契約を今年いっぱいまで延長した21年5月以降で、イニエスタはこんな考えを抱くようになった。
「自分は、ずっとここ(神戸)で引退する姿を想像してきました」
過去形になっているのは、神戸における立ち位置が一変したからだ。5月に行われた退団会見。イニエスタは「時に物事は希望や願望通りにいかない」と、声を詰まらせながら理由を語っている。
「まだまだプレーを続けて、ピッチで戦いたい思いがありました。しかし、それぞれが歩んでいく道が分かれ始め、監督の優先順位も違うところにあるとも感じ始めました。ただ、それが自分に与えられた現実であり、リスペクトを持ってそれを受け入れました。最終的には現実と自分の情熱とをかけ合わせた結果、ここを去るのがベストな決断だとクラブとの話し合いの中で決めました」