変化の激しい時代には、従来の延長線の成長ではなく、「異次元の成長」を狙うべきである。限界を超える思考、『桁違いの成長と深化をもたらす 10X思考』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を著した名和高司氏に、その執筆動機、概要、根幹の思想を聞いた。後編では、ワーク・ライフ・バランスやジョブ型移行についての誤謬論から、その考えの背景にある「人はどう生きるべきか」という著者の人生観・価値観へ踏み込んだ話を紹介する(聞き手/ダイヤモンド社 論説委員 大坪亮、文/奥田由意)。

ワークとは何か。どう生きるか。© Motokazu Sato

ワーク・ライフ・バランスは
なぜ時代錯誤か

――本書の第3部以降では、これまでの先生の本ではあまり語られていなかった「個人の生き方」について、重厚に論じられています。そこでは、はやりの「ワーク・ライフ・バランス」ではなく、10年前から提唱されてきた「ワーク・イン・ライフ」が紹介されています。この考え方について教えてください。

 「ワーク・ライフ・バランス」と政府が言い始めたときから、それは勘違いであると言い続けています。ワークとライフをデジタルに二分して二項対立にしていることがまず間違いです。両者は相当部分、重なっている。もちろんワークのないライフもあるし、ライフのないワークもありますが、ライフとワークが全く重なっていないのは、それこそマルクスの時代の「労働者は搾取されている」という一面的な見方であり、古い労働観と言わざるを得ません。働きがいは生きがいとともにあり、相乗効果を生むもので、会社のパーパスと自分のパーパスがある程度まで重なり合う創発関係が理想です。

 ワークに関して私が最も好きなのは、著名な学者や経営者が受けたユニークな教育法であるモンテッソーリ・スクールの話です。そこでは子どもたちはレゴで遊ぶことをワークと言う。ワークは非常にクリエーティブで、自分の意思に基づき、ライフと深く関わっている本質的なものです。そこがレイバー(labor)とは決定的に違うわけです。にもかかわらず、ワークとライフを分けるのは、言葉の定義としておかしい。1日24時間のうち、平日の仕事は8時間を占め、これは本来、ものすごく貴重な自分の時間であるはずです。それを全くわかってない人たちが唱えるのが「ワーク・ライフ・バランス」です。

 わかりやすい例で言えば、スポーツ選手やプロフェッショナルに仕事にのめり込む人たちは、仕事が自己実現の場でもあるので、「やらされ感」満載のワークをしているわけではない。志を持った人たちのワークも同様で、自己実現の時間です。仕事においてそのような志を持てないと考えるのは、非常に不幸なマルクス主義ではないでしょうか。

――ワーク・イン・ライフは、個人の「人生におけるパーパス」を抜きには考えられません。AIの劇的な進歩などの時代背景から、本書の後半では、ドゥルーズなどの現代思想、平野啓一郎氏や村上春樹氏の小説などにも言及して、「人とは何か」「どう生きるか」を熱く語っています。

 会社が主語ではなく、主体性を持った個人を主語にしたほうが、今の時代にマッチすると思っています。今、多くの会社でメンバーシップ型からジョブ型へなどといって、ジョブ型導入が進んでいますが、ジョブに人をはめ込んで、消費して使い捨てにするなどもってのほかです。欧米ですら、そんな表面的なジョブ型の運用はなされていません。

 もちろん何か仕事をこなす上では、ジョブ、米国ではタスクと言いますが、それは人の人生の一局面、分人論で言えば、一つの自分でしかない。マルチバースがもたらす時空間の同時多層化で、時間軸的にも空間軸的にももっといろんなことをやってみたいという思いがある中のごく一部を切り取ったものがジョブ、タスクであると思うのです。

 私は、キャリア型という言い方を提唱します。キャリアとは、人の人生そのものです。個人を主語にすれば、会社は手段です。人は一人では何もできませんから、自分の志が合う会社に、キャリアの一時期、所属することもある。自分がやりたいプロジェクトが会社と重なり合う部分では、会社の一員として働けばいいし、そうでない志やアスピレーションが出てきたら、違う形の働き方を見つけるのがこれからの生き方になると考えています。

 となると、会社は選ばれる側になる。人々のライフステージ(キャリア)の中のある関心に沿った形の場を提供することが会社の役割になってくる。これが、メンバーシップ型やジョブ型とは全然違う、個人を主語にしたときの、会社という組織の存在意義です。

 会社が従業員に一生懸命に仕事をさせたい、優秀な人を採りたいと思うのはわかりますが、ここに及んでジョブ型という発想は間違いだと思っています。転職が当たり前の欧米の会社の多くはワーク・イン・ライフ的な発想の転換ができている。日本でも前述のロート製薬の山田邦雄会長や、丸井グループの青井浩社長などは、非常にリベラルかつ先端的で、ワークはライフの一部ということを前提にして自分たちの企業のあり方を考えています。