織田信長Photo:Pictures from History/gettyimages

織田信長といえば、時代劇や歴史小説で「カリスマ的な英雄」として描かれることが多い。だが、信長が生きた時代に近い「江戸時代の歴史書」をひもとくと、決して豪快なだけではない一風変わった人物像が見えてくる。父親の葬式でお香を投げたり、下戸だった明智光秀に無理やり酒を飲ませたり――。もちろん創作が含まれている可能性が高いが、これらのエピソードは信長が、江戸時代にどのように認識されていたかを知る一助となるかもしれない。(歴史学者 濱田浩一郎)

「江戸時代の歴史書」
織田信長はどう描かれた?

 頼山陽(らい・さんよう/1781〜1832)は、江戸時代後期の歴史学者です。その著書『日本外史』(以下『外史』)は、幕末において多くの人々に読まれたため「幕末のベストセラー」という声もあります。では、その『外史』は、大河ドラマなどで度々描かれてきた戦国武将・織田信長をどのように描いたのでしょうか。

 まず、信長は幼い時から豪放磊落で武芸を好み、異様な服を着ていたと『外史』は記します。町中を出歩くときは、人の肩に寄りかかり、餅菓子を立ち食いし「人を人とも思わぬ様子」だったともありますが、これは、信長の一代記『信長公記』(信長の家臣・太田牛一の著作)が記すところと同じです。

 領主の御曹司らしからぬ振る舞いの一方で、信長は乗馬・弓・鉄砲の稽古や、水練に励んでいました。信長の鋭敏さを示すエピソードも記載されており、近臣を集めて竹槍(やり)で試合をさせたときなどは「槍は長い方が有利だ」と信長は言って、二丈(約6メートル)もの長槍を作らせました。

 信長の父・織田信秀の葬儀の際に、抹香を位牌(いはい)に投げつけたという逸話も『外史』に書かれています。信長の奔放な振る舞いをいさめるため、傅役(もりやく/身の回りの世話を行う家臣)の平手政秀は自害して果てますが、そのことを知った信長は驚き、自らの行いをとがめ、反省したようです。ショックの余り、外出しなかったと書かれています。

 エキセントリックな振る舞いをしたかと思えば、自らの行いを反省する。そんな感情の振れ幅の大きな信長の姿は、「豪快でカリスマ的なリーダー」という現代のイメージとは異なるかもしれません。『外史』には、他にどんなエピソードが記されているのでしょうか。