「水の音さえ美しい」、中国からやってきた日本庭園視察団

 新型コロナウイルスのまん延でストップしていた日中間の民間交流もこの夏、息を吹き返した。“リベンジ交流”があちこちで展開する中、筆者は 中国からの“日本庭園視察団”を取材した。北京、上海、重慶、山西、安徽などから参加した庭園の設計・施工・調達を手掛ける専門家の一行だ。

中国マネーが「日本の盆栽」へ!アリババ創業者も1000万円お買い上げ、腕利き職人は給料倍増戸田氏(左から3番目)の説明に聞き入る中国人の専門家たち(著者撮影)

 7月末の朝9時、ホテルの会議室は視察団の熱気に包まれていた。講演会に招かれたのはランドスケープアーキテクトの第一人者である戸田芳樹氏(75歳)だ。京都で庭師として修業した経歴を持ち、日本庭園を取り入れて街の景観をデザインする戸田氏は中国においても知る人ぞ知る人物である。

 日本庭園の歴史は飛鳥時代にさかのぼり、朝鮮半島経由で技術が伝えられたともいわれている。庭園という概念が日本にもたらされた時代、庭園は池を真四角にするなど直線的だったが、時の経過とともに緩やかな曲線を持つ独自の庭園に変化していく。

 自然の形そのままの池、そこに注ぐ水の流れや滝、ありのままの石の形など、今に伝わる「日本庭園」の要素は奈良時代に形成されたといわれている。また天皇の墓を守るとされる京都の龍安寺がそうであるように、「当時の人々は庭園に先祖の墓、一家の繁栄など意味を持たせ、思想性を反映させていました」と戸田氏は話す。

 日本庭園に熱い視線を向ける視察団一行は、戸田氏が手掛けた多摩川と富士山を望むロケーションにある二子玉川公園(東京・世田谷区)の回遊式庭園「帰真園(きしんえん)」を訪れた。門から主景である池までを植物や石でデザインし、緩やかな坂などを設けて領域を変化させながら、空間の広がりに到達する――そんな戸田氏の説明に一行は聞き入った。また水流の表現には、水の音さえも「美しい」と言って録音する人たちもいた。