日本庭園に重ねる“自分探しの旅”

 しかし、残念なことに、日本における日本庭園の文化は縮小に向かいつつある。少なくとも日本庭園は、公共のスペースや高層住宅や商業施設のプロジェクトの一角に入り込むなど、特別なケースでないと造園が難しい時代になった。

 戸田氏は「50年ほど前は日本の金持ちの間で日本庭園の造園ブームが起きましたが、今では庭にできる敷地そのものがありません」と言う。

 一方、中国で日本庭園の需要が伸びる背景には、富裕層の存在がある。日本に住んで30年、日本庭園づくりを学んで15年の楊貴宝氏(63歳)はこう話す。

「北京など中国で一戸建て住宅を購入する富裕層の中には、庭だけで1000平方メートルや3000平方メートルを有する人もいます。200平方メートルの庭はむしろ狭いぐらいです。白鳥が泳いでいたり、神木で知られる櫟(イチイ)の木すら植えられたりしています。自分の庭に日本庭園を造ることは “富二代”(金持ち二代目)といわれる人々のたしなみにもなっています」

 また楊氏は、中国人の日本庭園への探求について「“自分探しの旅”にも重なるところがある」と語っている。

「19世紀の中国は欧米列強に屈しましたが、『なぜダメだったのか』という問いに対する答えを現代の中国の人たちは探し求めています。対立が深まる欧米側に学びにくくなる中、最近は日本にいっそう目が向くようになっているのです」

“21世紀のジャポニズム”の到来か

 戸田氏は2007年から中国で行われる商業施設の開発プロジェクトに関わってきたが、「なぜ中国人はここまでして自分を含め日本人をプロジェクトに取り込もうとするのか」という素朴な疑問を抱いていた。戸田氏は中国の事業者からこんなオファーを受けたことがある。

「日本人は誠実で、ものづくりには緻密さがあります。明治の開国期に外国から情報や技術を取り入れ独自なものを作り上げました。日本人には中国でもこの発想に基づいて、中国の文化を現代に導いてほしいのです」

 簡単に言えば「中国の歴史や文化をモダンな感じで展開してほしい」という要望だ。

 彼らにとっては中国の歴史や文化をどのようにして現代につなぐかが大きな課題、しかし自分たちで簡単にはできないことから、日本の企業をパートナーにすることを思いつく…。だが、戸田氏は事業者に対し「その問いに向き合うのは中国人自身です」と答えている。

「帰真園」の参観を終えた重慶出身の参加者は「ここにある植物や石は中国にはない。だから我々が中国でつくれるのは融合スタイルでしかない」と話していた。今後、素材の調達をきっかけに中国の日本庭園は“中国ナイズ”されていく可能性が十分にある。世界各地で造園される日本庭園の中には「これが日本庭園だといえるのか」といったものもあり、「どう定義付けるか」という議論もある。

 それでも戸田氏は「日中の文化は常に互いに作用し合って新たな価値を生み出していく。中国では、およそ我々がカテゴライズできない、非常に個性的な日本庭園が生み出されるだろう」と前向きに受け止めている。

 縮小を余儀なくされる日本の伝統文化はどこに行くのか、という素朴な疑問から始まった取材は、盆栽と日本庭園の二つの伝統文化に向けられる世界の熱いまなざしにたどり着いた。戸田氏の言葉を借りれば「海外からの熱量の高まりは、まるで19世紀後半のジャポニズムを彷彿とさせる」かのようだ。

 遠い昔に中国からもたらされた文化を受容した日本が、年月をかけてそれを変容させ、さらに中国に逆流させるサイクルが動き始めている――そう捉えることもできる。日本の伝統がどんな形で受け継がれていくかは未知数だが、“21世紀のジャポニズム”のその先を見守りたい。