赤のボールペン写真はイメージです Photo:PIXTA

相続で制度の壁にぶつかったり、相続人同士がもめたりするケース、いわゆる“争族”のリアルを現役弁護士が伝える本連載。今回は、「変な遺言書」シリーズ第1弾として、地方で総合病院を経営する一族の事例を紹介します。(弁護士 依田渓一、執筆協力 経堂マリア)

地方の病院経営一族に“争族”が勃発

 これから記すエピソードは、読者の皆さんが「こんなことあり得るの?」と思う設定かもしれません。が、実在する最高裁判例(平成27年11月20日判決)の事案を参考にアレンジしたものです。また、筆者自身も同種事案に遭遇したことがあります。事実は小説よりも奇なり。まずはご一読ください。

【とある家族の相続物語】

 中澤記念病院(仮名)は地域に根差した中規模の総合病院で、20年ほど前から中澤健人(仮名)の父が院長として経営を取り仕切っている。院長のポストは代々、中澤家の長男が継いできたので、ゆくゆくは長男である兄・真治が院長になるのが自然な流れ。健人の父もそのつもりで、跡継ぎである真治にほとんどの財産を取得させる旨の自筆証書遺言(詳細は後述)を書いていた。次男の健人からすると面白くはないが、経営のことはよく分からないし、一族のしがらみから離れて大学病院の勤務医として働く方が性に合っていた。

 ところが、父が遺言を書いてからというもの、父と兄は経営方針を巡りけんかが絶えなくなった。兄には、今のうちから病院の古い体質を改革したい思いがあるようだ。一方、父は父で、真治に対して「院長気取りはまだ早いぞ」と思っているようだった。健人は父が病院経営に四苦八苦する姿を見てきたから、もう少し父を尊重してはどうかとやんわり真治に提案してみたものの、「部外者のお前が口を出すな」と一蹴されて以来、兄弟の仲まで悪化していた。

 父と兄の対立が深刻化し、院内の雰囲気まで悪くなってきたといううわさが健人の耳にまで入るようになった頃、健人は父に呼び出された。

「前に作った遺言を、撤回しようと思ってな――」父はこう切り出した。

 跡取りである真治に病院経営と財産のほとんどを継がせるつもりだったが、方針撤回。院長のポストは継がせるにしても、財産は真治と健人の兄弟二人に公平に相続させたいというのである。

 そう言って父は、健人の目の前で、遺言書の左上から右下にかけて、赤いボールペンで大胆に斜線を引いたのだった。

 その翌年、父はあっけなくこの世を去った。

 しばらくして父が斜線を引いたあの遺言書が、意外な場所から出てきた。病院の麻薬保管金庫に入っていたのである。病院に保管されている麻薬の検査のために担当公務員が金庫を開けた際、看護師が発見したという。その金庫は、父を含むごく一部の人間しか開けることのできない金庫であり、遺言書を金庫に入れたのは、状況からして父以外に考えられなかった。

 健人は、てっきり父は遺言書をあのまま捨てたと思っていた。それなのに、病院の麻薬保管金庫に残しておくなんて…。

 健人は慌てて、「あの日」の出来事を兄に説明した。父が、財産は真治と健人の二人に公平に相続させたいと言ったこと、遺言書に赤いボールペンで斜線を引いたこと。そして、「この遺言書は撤回されて存在しないも同然」だから、「財産は法定相続分に従って兄弟で半分ずつにしよう」と主張した。

 対する真治は、健人の唐突な主張に驚き戸惑いながらも、「斜めの線が引いてあるだけで現に遺言書はあるのだから、その内容通りにすべきだ」と言って譲らない。

 困り果てた健人は、知り合いの弁護士に相談してみることにした。

【相続の疑問点】

 赤色ボールペンで全体に斜線が引かれた自筆証書遺言(遺言者本人が手書きで全文を書き、作成年月日の記載や署名捺印があるもの)は無効か、それとも有効か。