日本の農業は長年、多額の補助金が投入され、関税等で外国産品から守られてきたが、競争力は低下するばかり。「国土が狭い日本は農業には不向きだから仕方がない」などの一般論とは反対に、その過保護な考え方や政策に誤りがあると主張する農業ジャーナリストを取材した。

昆 吉則
昆 吉則(Kon Kichinori)
月刊「農業経営者」編集長。1984年農業全般をテーマとする出版社、農業技術通信社を創業。93年月刊誌「農業経営者」創刊し、「農業は食べる人のためにある」という理念のもと、農業技術・商品・経営の情報を発信している。2006年より内閣府規制改革会議農業専門委員

─日本の農業政策は、どこに問題があるのか?

 自国の消費市場や経済環境に適合する政策になっていないことだ。

 日本は先進国で、成熟国。消費者が求めている食べ物は、多少高くても、おいしいもの。にもかかわらず日本は、終戦直後の途上国だった頃の「量確保」の農業政策をいまだに続けている。欠乏・窮乏の時代から過剰の時代に移ったのに、それに対応するように政策が変更されていない。

 また、物価や賃金が高い日本で、労働集約的な産業である農業を維持しようとするなら、高い生産コストでも競争力を保てる高付加価値な商品、すなわちマーケット志向の商品にターゲットを置かなければいけない。だが、それもできていない。

─原因は何か?

 あらゆる政党が、農家を選挙の“票田”としてしか考えないことにある。自民党も民主党も、農村票を得ようとして耳障りのいいことしか言わず、「国としてのあるべき論」の視点からの農業政策を打ち出してこなかった。

 また、関税や非関税障壁、補助金政策が山盛りで、過保護状態にあり、市場の論理が機能していない。

 製造業は、世界企業との競争の中で、常に市場や顧客を意識し、自己変革している。「市場が奪取されたら新商品開発で新市場開拓」とか「経営センスのない経営者は交代」とか「新規参入者が相次ぎ、人材の新陳代謝」が日常茶飯事。農業では、こうした緊張感が皆無だ。

 多くの農家は、こうした保護された市場に“安住”している面がある。零細兼業農家は、低い生産性のままでも補助金で存続できる。いわば“補助金付き家庭菜園”という形で生き残っている。

 そして、農業協同組合や農林水産省は、こうした農家に“寄生”し、自らの居場所作りの仕事や政策作りに汲々としている。