直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、“歴史小説マニア”の視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身やおすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
独特の歴史の見方
歴史と歴史小説の違いを語るときに、避けて通れないのが司馬遼太郎という作家の存在です。
司馬遼太郎は戦後を代表する国民的作家の1人であり、作品を通じて提示した歴史の見方は「司馬史観」と呼ばれます。
たしかに司馬遼太郎が描いた作品には、フィクションの要素や現在の研究では間違いとされていることが多いのは事実です。
批判が高まる司馬史観
ただ、司馬遼太郎があまりに読書界を席巻したがために、彼の描く歴史が本当の歴史だと考える人をたくさん生み出してしまいました。
平成に入った頃から、その反動で歴史家の間で司馬史観を批判する声が高まるようになります。
ネットの普及とともに、さらに個人の読者からも「司馬遼太郎が書いたことを信じているなんておかしい」といった発信が行われるようになりました。
不当なバッシング
司馬遼太郎が非難され、貶められる時代が始まり、今でもその論調が完全に下火になっていないのが現状です。
しかし、私自身はそれを不当なバッシングだと考えています。
みんなが勝手に司馬遼太郎を歴史家のように持ち上げたのであり、本人は自らの学説が正しいと主張したことなど一度もありません。
出る杭は打たれる
東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏は、「司馬遼太郎を批判する歴史家は多いけれど、仮に彼が歴史家になっていたら、彼を批判する歴史家よりももっと素晴らしい研究成果を残していたはずだ」といったことを語っています。
その通りであり、司馬遼太郎は娯楽作家としてエンターテインメントを追求しただけなのです。
結局のところ、どんなジャンルでも傑出しすぎると叩かれるのが運命なのでしょう。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。