日本電産の企業変革WPR1
リーマンショックへの対応

 ここからは、筆者が日本電産在任中に携わった2つの企業変革について、コッター教授の「変革の8段階」に沿って考察していきます。内容的には、在任中の広報対応やIRなどの対外説明を本連載用に再編集したものになります。

 まず、マクロ経済環境の突然の変調に対する対応です。2008年9月の世界的な経済危機、いわゆるリーマンショックは、クロスボーダーのM&Aを開始し、グローバル化の加速を始めた日本電産にも大きなインパクトを与えました。ただ、同年10月の中間決算発表時点では、経済危機の実態経済と企業業績への影響の予測段階にはまだ至らず、また、上半期の業績は従来想定を上回る進捗を示したことから、通期の業績予想は同年4月の予想が据え置かれました。

第1段階 危機意識を高める

 ところが12月に入ると事態は一変します。実態経済への影響が顕著となり、複数のシナリオによるシミュレーション結果から通期業績予想の修正は不可避と判断されました。日本電産は、透明度の高い適時開示姿勢にもとづき、「世界的な経済危機下の業績予想の下方修正も一番先に行う」方針を決めます。そして、2008年12月19日に、買収による上場子会社6社を合わせたグループ7社の上場会社のうち日本電産本体を始め6社の通期業績予想の下方修正を発表しました。

 その後、事業環境の悪化は加速し、2009年1月6日の年頭記者会見では永守重信社長(現会長兼最高経営責任者。以下、当時の役職で表示します)から、危機対応策として「雇用を守るため」にグループの日本人役員と社員を対象とする給与カットが発表されました。これは、製造業大手による危機対応の先駆けとして各種メデイアでも大きく報じられ、グループ社員の危機意識はいやがうえにも高められました。

第2段階 変革推進チームをつくる

 年頭会見の同日開催の日本電産グループ社長会において、永守社長よりリーマンショックによる非常事態宣言と、グループの総力を挙げての危機対応プロジェクトWPR1(ダブル・プロフィット・レシオ=利益率倍増)プロジェクト発足が発表されました。

 WPR1推進事務局(Project Management Office :PMO)は、経営に理論と実践の融合や数値管理徹底といった科学的アプローチの導入を始めた日本電産本体のCFO機能が担うことになりました。直ちに、グループ全社・事業所(工場)のCFO機能と連携して、グループ一体のプロジェクト推進体制が組成されます。この取組みは、上場会社6社を含めた買収企業の自主独立経営を尊重する、従来の「連邦連結経営」から、全体最適を追求する「グループ一体化経営」への転換点ともなりました。

第3段階 適切なビジョンをつくる

 永守社長のリーダーシップにより、WPR1の目標は下記の通り定められました。

(1)ピンチをチャンスとして、経営体質改革と収益構造の革新的改善

(2)売上高が半減しても完全黒字化できる収益構造への転換

(3)売上高がピーク時水準回復時に営業利益率を2倍 (売上高がピーク時75%回復時にピーク時の営業利益率達成)

 また、P/Lのガイドライン(GL)は、この目標をベースにリーマンショック直前の四半期P/Lを基準四半期P/L(基準売上高と基準営業利益率)として

a. 売上高が基準比50%(基準比50%減収)でも赤字にしない。

b. 基準売上高が75%に回復(基準比25%減収)したら基準営業利益率に戻す。

c. 基準売上高に回復(基準比100%)したら基準営業利益率の2倍(利益率倍増)にする。

 が設定され、社内外に発表されました。WPR1のPMOは、連載1回目で説明したDC方式(直接原価計算方式)を活用し、WPR1のGLに基づき具体的な展開を進めます。当時のIRでも詳細な説明が重ねられましたが、その概要は次の通りです。

 売上高に応じたGLの営業利益率算出用のDC方式の基準四半期P/Lは、FC方式の基準四半期P/Lをベースとして、連載1回目のDC方式関連の説明に沿って、FC方式からDC方式に転換されたものです。

 その当時の開示資料などから編集したイメージは、図表3-2になります。これは、基準P/Lを売上高700億円、営業利益70億円、営業利益率10%と想定して、

・WPR1のGLのP/L(太い点線グラフ)

・対策を講じない「 成り行きベース」P/L(細かい点線グラフ)

・WPR1施策によるP/Lシミュレーション(実線グラフ)

 をまとめてグラフ化したものです。

 DC方式の基準四半期P/Lをベースとして、危機遭遇時に対策を講じない(売上高減少の際に限界利益率(%)と固定費(金額)の改善をしない)「成り行きベース」では、

・売上高半減の場合:製造業のほとんどの企業は大幅な赤字に転落。

・売上高が75%レベルに回復(基準比25%減収)の場合:企業の収益性は全般的に大幅に低下し、赤字転落企業も少なからず出現。

・基準売上高に回復(基準比100%)の場合:収益構造に変化がなければ、もとの営業利益率に戻る。

 となります。

 図表3-2は、対策を取らない「成り行きベース」、GL、対策積み上げ、のグラフ3種類の集約化を試みたものです。コッター教授の「目に見える形で真実を示して感情に訴える」に通じる試みかと思います。

 この売り上げ回復に対応する「成り行きベースP/L」と「GLのP/L」とのギャップをいかに埋めていくかが、WPR1の改善活動の中核となるアイデアとアイテム出しのプロセスになります。事業所(工場)ごと、事業部ごとに基準営業利益率の2倍到達を目標に、バックキャスティングにより、対策立案が進められました。ギャップのすべてを変動費/限界利益(%)改善で埋めるケース、或いはすべて固定費(金額)削減で埋めるケースの両極端なケースからスタートして、ブレーンストーミングによる全方位からのアプローチが取られました。

 日本電産の三大精神「情熱・熱意・執念、すぐやる・必ずやる・出来るまでやる、知的ハードワーキング」が発揮される局面です。

 机上のシミュレーションをスタートにして、具体的に目標に近づけていくアイデア出しは、経営層、幹部層、スタッフ層すべての社員が参画して進められ、アイデアの集積が経営ノウハウとして蓄積されていきました。アイデアは、即座に実行に移され、目標を上回る実績に繋がっていきました。

 平常時では達成不可能な、短期間の利益率倍増というハイレベルの目標は、達成すれば「ピンチをチャンスに変える」に直結します。非連続な高い目標は、社員のチャレンジ精神に火を付け、平時では想定しにくい意識改革、革新的なアイデア創出、そして発想の転換につながりました。

第4段階 変革のビジョンを周知徹底する

 WPR経営の浸透と、効率的で効果的なグループ一体のプロジェクト運営を目的に、経営幹部向けのマニュアル「WPRの思想と経営手法(WPRマニュアル)」が作成されました。WPR経営のノウハウの標準化と形式知化をはかり、属人的にならぬようWPR1のPMOが中心となり作成に当たりました。

 マニュアル作成直後から、内容の咀嚼と周知徹底のためPMOメンバーがグループ各社を訪問して、理論編と実務編からなる「WPRマニュアル」の説明会が開催されます。マニュアルの理論編は、危機対応の意識改革を求め対処の心構えを説く永守社長のメッセージが中心とされました。実務編は、DC方式などを活用した分析やシミュレーション等の具体的な経営数値管理手法と、活動事例の紹介と解説で構成されました。海外グループ会社向けに英語版も作成され、ナレッジマネジメントも急速に進展します。これらの取組みにより、従来の各社の自主独立経営による「連邦連結経営」から、全体最適追求の「グループ一体化経営」への変革の機運が高められました。

第5段階 従業員の自発的な行動を促す

 WPR1では、日本電産の経営の強みである永守社長によるスピード感溢れるトップダウン経営に加え、従業員の積極的で自発的なボトムアップの行動も、変革成功には不可欠とされました。

 日本電産グループの憲法と位置付けられる、3Q6S〔社員・製品・会社の質(3Q)を高め、整理・整頓・清掃・清潔・躾・作法(6S)を徹底する行動規範〕が徹底され、全員参加による改善のアイデアやアイテム出しが奨励されました。従業員の提案による役員車の削減を始め、「聖域なき」経費削減が断行されました。ベストプラクティスは随時マニュアルに加えられ、従業員の動機づけを行いながら、ナレッジマネジメントと業績改善が同時進行しました。

 日本電産は、高収益経営を実現するために、個々の事業所(工場)が収益単位(プロフィットセンター)として収益責任を担い、事業所間の競争も促す「事業所制」という収益管理制度を運用していました。WPR1におけるナレッジマネジメントの進展は、事業所制における事業所間競争によるノウハウ共有の遅滞要因を排除し、事業所制をベースとしながらも、全体最適追求のグループ一体化経営への転機となっていきました。

第6段階 短期的な成果を生む

 経営危機下、グループ全従業員にコミットメントを求め多くの労力と時間を投入するプロジェクトを成功に導くには、前述した「クイック・ウイン」と称されるプロジェクト初期段階の成功が重要になります。

 WPRプロジェクトが発足した2008年度第4四半期(以下第1四半期から第4四半期までそれぞれ「Q1」「Q2」「Q3」「Q4」と表記)から業績推移をWPR1のGLで追ってみます。

 売上回復に応じた営業利益率(OP、%)のGLに対する実績の推移は、

・2008年度Q4 売上回復率 56%、OP GL 2.9%>実績 1.3%(GL未達なるも44%減収でも赤字回避)

・2009年度Q1 売上回復率 65%、OP GL 7.0%<実績 8.8%(GLを過達)

・2009年度Q2売上回復率 76%、OP GL 12.4%=実績 12.4%(GLを達成)

・2009年度Q3売上回復率 80%、OP GL 14.2<実績 15.4%(GLを過達)

 となりました。営業利益率は、四半期ごとに回復/向上し、2009年度Q1以降GLを達成していきました。

 2008年度Q4のみGLには未達となっているものの、製造業の多くが同四半期に赤字を計上する中、日本電産の連結営業利益はわずか10億円ながら黒字が死守されました。この10億円は日本人役員と従業員の給与カット相当額であり、これがなければ赤字転落となっていたことが従業員への謝辞と共に決算報告で伝えられ、結束力を一段と高めるものとなりました。

第7段階 さらに変革を進める

 2009年度に入ると売上が回復基調に転じ、固定費構造改革や変動費削減による収益構造改革が奏功しQ1からQ3まで3四半期連続でWPR1ガイドラインが達成されます。Q4と通期では最高営業利益を更新。2010年3月には、年2回のボーナスに加え、給与カット額に金利相当分を加えた臨時ボーナスが支給され、従業員の協力と労に報いることができました。2010年度Q1も四半期最高営業益が更新されました。

第8段階 変革を根づかせる

 WPR1の実績の時間軸を振り返ると、2008年12月の業績予測シミュレーションを起点として、2009年度Q1からのV字回復開始まで6カ月弱で変革が進むというスピード感でした。

 WPR1の掲げた利益率2倍のための生産性2倍の目標は、工場の生産ラインにとどまらず事務職を含む全従業員が対象とされました。WPR1施策の業務効率化による定時内勤務奨励などは、その後2016年度から本格的取組が開始された働き方改革のベースとなっていったと思います。

 このようにWPR1は、結果として「八段階の変革プロセス」に即して展開され、科学的経営の浸透とともに経済危機下における変革の推進役となりました。