「英語で考えろ」というアドバイスの危険

 帰国子女が英語で話す場合、「英語で考える」ステップはない(もちろん日本語が入る余地もない)。人は、何かモヤモヤした「こんな感じのことを言いたい」という衝動が頭に浮かぶ→それを元に言葉が口から出てくるものだ。

「モヤモヤ」は「概念」と呼んでもいいし、「イメージ」「感情」「感覚」などともいえる。ここではイメージと呼ぶが、とにかくそれは日本語でも英語でもない「言葉になる前の何か」なのだ。

 例えば数学の問題を解いているときや複雑なことを考えているときに、「これがこうなって…」などと声に出しながら考える人はいるかもしれないが、それはごく一部の時と場合だ。繰り返すが、私たちはイメージを起点にして言葉を発している。日本人が母国語で話すときも、決して「日本語で考えて」いるわけではない。

 第二言語習得の研究分野では、このプロセスを次の3ステップで捉えている。

1.概念化:言いたいことが思い浮かぶ
2.形式化:言いたいことを○○語としてまとめる(どんな語彙・文法構造・発音で表現するかプラン)
3.調音化:○○語を発話

 そしてこの3ステップは一瞬、ほぼ同時に行われている。

 2の形式化ステップで、「どんな語彙・文法構造・発音で表現するか」とあるが、これは無意識に行われる作業だ。調音化も無意識で行われる。だから非ネイティブが英語を話す際も、形式化と調音化を無意識でできるレベル(自動化レベル)に近づけるのが、英語をスムーズに話す必須条件となる。

 さて、「英語を話せるようになるには英語で考えることだ」というアドバイスがある。「英語で考える」という言葉の響きや印象の魅力もあるのか、この言葉が独り歩きしているように筆者は思う。「頭を英語モードにして日本語を排除する」なら、まだ分かるのだが、「英語で思考しなければ」と捉えてしまうと間違いだ。そもそも日本語でさえ行っていないことを、英語でやるなんて途方もない話だ。