新規事業は
イシュー・ドリブンで
日置 小手先の数値ではなく、企業価値を本質的に上げようとする場合、その手段として、オーガニック成長とM&Aという二つがあると思います。いずれにしても、橋本さんがおっしゃったように、新しい成長のストーリーをうち出していく必要があるが、日本企業はそれがない。
PBRの分子を大きくする、すなわち成長を考えるに当たっての新規事業に関してですが、日本の大企業の構造問題のひとつとして、新規事業が生まれにくいということがあります。大上さんは、実際オムロンの中でCVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)なども関わった経験がおありで、そのあたりはどうご覧になりますか。
大上 スタートアップに関わる仕事をしていますが、今の時代は、社会・経済システムの移行期にあり、新旧の価値観がぶつかり合ってさまざまな社会課題が噴出して、新しい事業のネタは豊富です。ESG(Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス))、とりわけ環境に関する問題には、多くのスタートアップが様々な手段で社会課題の解決にチャレンジしています。
大手企業でも新規事業に取り組まれていますが、どのように経営資源をマネジメントするかが、企業の成長にとって重要になってきます。高い技術を持ちながらも、技術を事業化していくところが、日本企業が下手な部分であると思います。
同志社大学大学院ビジネス研究科客員教授
横浜市立大学商学部卒業、豪州ボンド大学経営学修士課程修了(MBA)。1985年立石電機(現オムロン)入社。中国本社戦略部部長、制御機器事業経営企画室長を経て執行役員グローバル理財本部長就任。オムロン独自の「ROIC逆ツリー」や、PPMの導入・展開を主導し、東京証券取引所「企業価値向上表彰」の大賞を受賞するなど、同社の企業価値向上に貢献した。中小企業基盤整備機構東工大横浜ベンチャープラザのチーフインキュベーションマネージャーとして、スタートアップの育成に取り組む。同志社大学大学院ビジネス研究科客員教授、京都大学経営管理研究部研究員。
日置 その原因をどのように見ていますか。
大上 起点が社会課題でなく、自社の強みが先に立ってしまいがちなところではないでしょうか。まず、解決したい大きな社会的課題を採り上げ、それに対して、どのように自社の資産を生かしていくかという、逆方向の発想が必要ではないかと思います。
日置 テクノロジー・ドリブンではなく、イシュー・ドリブンということですね。たとえば、橋本さんがいらしたデュポンは、2002年に200周年を迎えたタイミングで、300周年を迎えるときにはどういう会社でありたいかを検討した際にメガトレンド分析をして、自社が取り組むべき社会課題を特定。その後はそれに照らしながら、大きく既存事業を外しながら、小さく新規事業を興してという形で、事業の入れ替えを盛んにやってきていますね。どういうメカニズムで行われていたのですか。
橋本 新規事業開発(ニュー・ビジネス・デベロップメント)みたいなイニシアチブに、その仕組みがありました。日本企業と違うポイントは、日本ではR&Dなど開発ドリブンからスタートしがちなところを、デュポンでは早い段階から、いかにビジネスにつなげていくかという観点で、将来性のあるアイデアを見つけようとしていました。
デュポンの開発部門では、ある程度上のクラスの社員は専門分野のPhDを持っている人が多く、加えてMBAも持っているので、ビジネスをどう回していくかという基盤があるのです。テクノロジーとビジネスの両方がわかっていないと、ビジネスに結びつく研究開発にはなりにくい。
東京都立大学大学院経営学研究科特任教授
慶應義塾大学商学部卒業、デラウェア大学修士課程修了(MBA)。1978年YKK入社。86年同社英国子会社の財務最高責任者(CFO)としてM&Aや欧州持株会社・欧州統括会社の設立を実行。90年デュポン経理部。米国デュポンの自動車関連事業部FP&A、持分法会社財務報告グロ-バルプロジェクトリーダー、内部監査マネジャーなどを経て、99年デュポン東京トレジャリーセンタートレジャラー。2002年同社取締役財務部長、13年同社取締役専務執行役員。14年同社取締役副社長に就任後は、ダウ・ケミカルとの合併・3社分割プロジェクトなどを率いた。20年より現職。21年東芝取締役。
日置 一人の社員が併せ持っていないなら、そこは組織として両方の側の人材を担保するという作り込みが必要ですね。
橋本 デュポンでは開発チームの中に、ビジネスマインドを持った人物が早い段階で入ります。R&D部門付きのFP&A(Financial Planning & Analysis。財務や会計の知識をもとに企業戦略のアドバイスを行う職種)のような、ファイナンスの担当者が必ずいます。そこが日本企業の開発部門との大きな違いですね。デュポンではその担当者をビジネス・ファイナンスという言い方をしていました。
日置 IBMのファイナンスも同様の動きをしていると聞きました。ファイナンスの担当者は事業部門に対して統制もするけれど、事業部門にやりたいことがあるときは、やらせてあげられるようリソース調整を試みる。そうしないと、ファイナンス部門の言うことを聞いてくれなくなるから。そこはうまくバランスをとりながらやっていると。
大上 ある意味、その構図はスタートアップとVC(ベンチャーキャピタル)の構図に通じるところがあると思います。スタートアップのディープテック(研究を通じて得られた科学的な発見に基づく技術)に対して、トータルでのリスクとリターンというファイナンス的な価値思考で、出資を判断し、場合によっては支援します。
西山 日本企業の新規事業の探索や立ち上げに関する難しさを考えるとき、三つほどポイントがあると思います。第一に、企業側が社会や顧客のニーズからというよりも、既存のビジネスから発想しがちなこと。第二に、従来と発想を変えるためには、内部の人材だけでは限界があること。第三に、「3年で成果を出しなさい」といった評価軸の問題があること。一つ目と二つ目については、オープンイノベーションなども試みていると思いますが、もっと外部との連携をうまくやっていくことが必要だと思います。最近は、優秀な若手で新規事業やスタートアップをやりたい人も多いですから。
日置 オープンイノベーションが下手な企業は、外部に何かを探しに行ってしまう。それこそオープンに(笑)。もちろん「飛び地」みたいな話もあるかもしれませんが、単に飛び地を求めただけでは、そこからビジネスに仕立て上げることは到底できませんよね。さきほどから話に出ているようにビジネスとしてのストーリーがあり、その中でうまく発展させていく視点がないとダメですね。
橋本 評価のお話が出ましたが、一般論として、そもそも大企業は多くの人が安定を求めて入社している。新規事業では、多少山っ気があって博打をうてるくらいの人がいないと(笑)。なおかつ人事考課が減点方式なので、どちらかというと、何もしないでじっとしていたほうが減点されずに相対的に評価が高くなってしまう。
日置 そうしたときに、問題になるのが多様性です。多様性と言うと、日本企業の場合、まだまだ管理職の男女比率などデモグラフィー型で、かつ数値的なことに注力しがちですが、ダイバーシティを考える時にはタスク型の発想が大事です。中途採用は拡大していますが、新卒一括採用のあり方についても本気で再考すべきですね。
大上さんが指摘されたようなVCの役割は、経済学者ヨーゼフ・シュンペーターのイノベーションの理論でも、銀行の役割の大切さが論じられています。いかにリスクをとって、きちんとレバレッジがかけられるかを含めたファイナンス感覚を、組織の基本動作の中に収めておくことが大事だなと感じます。
大上 いまや電池などハードの開発にも必ずAIが関わってくる。そうすると、まったく分野の違う技術者同士が混ざらないとやっていけない。シリコンバレーはそうしたエコシステムもよくできています。異質な人同士が出会う「場づくり」のようなこと、異質な研究者同士をつなぐ役割もVCが担っているところがある。もっと幅広く、交わるというか、多様性をつくっていかなければこれからの競争に負けてしまうという危機感があります。
日置 新規事業には、図のような「シックスパック」が必要だと考えています。きちんと腹筋が鍛えられてないと代謝を高めたりまともな運動ができなかったりというように、「いくらイノベーションの掛け声を上げたところで、企業の体質が整っていないと強い新規事業を生み出すことはできないでしょう?」という意味です。
図表の「ならではの眼差し」は、メガトレンドなど長期的な社会動向を追いかけること自体はよいのですが、コンサルや調査会社からやみくもに情報を集め、それを整理整頓するだけでは差別化を生み出すためのインプットにはなりません。自社で持つリレーションを最大限活用して一次情報に当たるとか、これまでの経営のコンテクストの中で培ってきたものの見方などによって、独自の知見やインテリジェンスとして積み上げられるかが問われます。
「小さく起こし、大きくたたむ」は、デュポンがまさにそうですが、新陳代謝を絶えず起こして、リソースをきちんとシフトする。例えば、新しい事業のためのリソースは、既存の事業の売却により調達するといった企業行動です。
「共通言語」は、難しいリソース配分の判断をブラさないように、各事業の持つキャッシュ創出力や成長率などをきちんと数字で表し、各事業の位置付けに関して共通認識を持てるようにするということです。ただし、全てを数字で表現できるわけでもありません。新規事業に限らず全ての経営判断のベースとなる自社の価値観や、自社の保有する技術やビジネモデルなどの強みやその裏にある弱みも共通言語として重要です。現実の判断は数字というハードと価値観のようなソフト、両方の共通言語を加味して行われます。
「自由と規律のバランス」は、ステージゲート法などのように、新規事業のプロジェクトの進捗をがっちり管理する体制がありつつ、他方で博打が打てる人材を擁するといった、「遊び」の部分というかアローワンスもなければならないということ。両者のバランスをどう取るか。勤務時間の一定割合を自分独自のプロジェクトに充てるよう奨励する、スリーエムの15%ルールやグーグルの20%ルールに近い話かもしれません。
「キャッシュ思考」は、単年のPL思考ではなく、キャッシュで物事を考えて、この企業が将来どうなるかというビジョンを持つ。
また、評価はもちろん大事なのですが、それ以上にエンジニアが称賛され尊敬される環境であることも大切です。エンジニアが楽しそうに働いている企業は、イノベーティブである確率が高いのではないでしょうか。
橋本 デュポンをはじめ欧米企業では、エンジニアには「フェロー」という肩書きをつけています。「大学の特別研究員」「最上位」のニュアンスを持つ言葉であり、一種の名誉ですね。