サイロ化したデザイン業界を一新するリブランディング

──太刀川さんが理事長を務められているJIDAは、この協議会の中でどのような存在なのでしょうか。

 創設メンバーの8団体のうち最も歴史が歴史が古いのが我々JIDAで、GHQ(連合国軍総司令部)の日本占領が終わった翌年の52年には既に発足しています。創立メンバーには柳宗理、渡辺力、剣持勇など日本を代表するデザイナーが名を連ね、領域を超えて活躍していました。「産業デザイン」の名の下に、建築家やクラフト作家、ジュエリー作家もいた。つまり、デザイン団体の原点であるJIDAには領域の垣根はなかったのです。

 その後、経済発展とともに専門分化が進み、それに伴って異なる専門性を持つデザイン団体が続々と発足しました。そこで誕生したのが日本デザイン団体協議会です。その後、高度経済成長期あたりからデザインは専門分化し、領域間のつながりは薄くなりました。ところが90年代以降、コンピューターの登場で状況が大きく変わります。ツールの共通化が進み、領域が再び融合し始めたのです。すると、感度が高い人は軽々と境界を飛び越えていく。実際、台湾や香港のようなアジアのデザインシーンでは、領域を超えてデザイナーたちがチームアップして団体を作り、新しいことにチャレンジする動きが活性化しています。

 一方、日本では業界がサイロ化した状況が続いていました。そうすると動きは硬直化し、それぞれのデザイン領域が象牙の塔のようになったりするんですね。面白いこと、新しいことは常に境界のエッジで起こります。若い世代はそれに気付き、サイロの境界を越えていこうしています。業界団体も変わらなければならない状況になっており、この協議会をデザインの横串になる場にする必要があると思いました。そもそも本協議会は先人たちが「垣根を越えてつながる場」として立ち上げたものですから、今の課題と完全に一致しています。時代に合わせてリブランディングする意味は大いにあると考えました。

デザインの適応進化を加速せよ──太刀川英輔が語る、デザイン団体の変革の理由

──23年6月にD8からDOOへ呼称が変更され、ロゴも一新されていますね。

 ブランディングで大事なことは、現在の「在り方」を体現することと、未来の「ありたい姿」を示すことです。D8と言いながら、私が幹事団体理事長になる直前に日本クラフトデザイン協会(21年6月解散)が消滅したため7団体になっていました。実態と名前がズレているわけですので、団体の呼称を変更する必要がありました。何十年も続く団体の愛称を変えることは難しいことですが、会議体を変えたことで、既に各団体の代表者は親密な関係を築いていました。率直に意見を交換しながら全員が納得のもと、名称変更を進めることになりました。

 私たちには、団体の数を限定する「8」という数字の呪縛を解き、他のデザイン団体にも門戸を開くというオープンな組織ビジョンを示したいという思いがありました。名称にまつわる議論の中で、メンバーの一人である日本空間デザイン協会(DSA)の津山竜治氏から「8を横にすると∞(無限大)になる」というアイデアが出たんです。これが「DOO」と改称するきっかけとなり、それに合わせて「Japan Design Organizations as One」という英語名称を付けました。デザイン団体が垣根を越えて一つにつながるプラットフォームにふさわしい名前になったと思います。

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