サイバーエージェント社長の藤田晋は、2026年の社長交代を表明し、16人の幹部が後継者候補に選ばれた。ボストンコンサルティングや早稲田大学のチームが構築した研修プログラムに加え、2人の社外取締役も加わったプレゼンテーション等の選抜プロセスが3年間にわたって組まれた。藤田は、候補者たちをどう評価しているのだろうか。全5回連載の第2回。(名古屋外国語大学教授 小野展克)
楽観的でとてもポジティブなプレゼン
次期社長を育成する研修で、16人の社長候補は「今後10年のサイバーエージェントの戦略について」をテーマにプレゼンを実施した。藤田は、16人のプレゼンをこんなふうに評価した。
「社長という役割の責任の重さについて、時間をかけて伝える必要があると感じました。退職金でサイバーエージェントの株を買った株主がいらっしゃる。子どもが生まれたばかりの社員もいる。数えきれない人の人生にサイバーエージェントが関わっています。永続的に続く会社にするためにも創業者である僕が経験や勘でやってきたことをきちんと言語化し、引き継ぐ必要があります」
サイバーエージェントの社員は、よく働くことで知られている。16人に選ばれた人々は、その中で、営業や事業責任者等の仕事で結果を残し、幹部としてマネジメントで高い評価を得た猛者ばりだ。
しかし、社員や幹部として優秀なことと、社長になれることは、まったく違うのだ。
創業期の藤田は今の藤田からは想像できない苦境に陥っていた。藤田の著書『渋谷ではたらく社長の告白』には、次のようなことがが記されている。
藤田がサイバーエージェントの株式を上場させたのは2000年3月。創業からわずか2年目で藤田は26歳だった。ITバブルの波に乗って、藤田は若手IT起業家の代表格として時代の寵児になった。マスメディアからもてはやされ、投資家や証券会社の訪問が列をなした。上場で調達した資金は225億円に達した。
しかし、この225億円が、藤田に重くのしかかる。
米市場でIT関連の株価が崩れると、日本の市場も変調を来しITバブルは崩壊。サイバーエージェントの株価も急速に値を崩した。マスメディアは手のひらを返したように藤田を筆頭としたベンチャー起業家をたたき始めた。損失を抱えた株主の態度も一転して厳しくなる。さらに大量採用した社員の退社が続き、新規採用も厳しくなった。
上場によって巨額の創業者利益を得た藤田への怨嗟も重なったのだろう。ネットには藤田への殺害予告まで書き込まれたという。
売り上げが伸びても、赤字から脱却できなければ、株価は下落を続け、投資家からの藤田への圧力は強まるばかりだった。2000年12月に開いた初の定時株主総会の際には、株価は上場時の8分の1まで暴落し、藤田は株主から罵声を浴びた。
2001年に入って、ようやく株価が下げ止まった。しかし、株式市場は残酷な現実を藤田に突き付けた。会社の保有する現金が180億円もあるのに、時価総額が90億円になっていたのだ。