「誰も売ってくれないなら、自分で売る」
お客様に対して徹底的に奉仕をするのが、私どもの方針です。ですが、そのために全国津々浦々にセールスマンを置くわけにもいかないので、当然代理店を使わなければならないと考えました。今までは相手が大手メーカーだけだったのを、今度は代理店とエンドユーザーという二つのお客様へ、徹底的に奉仕することを決めたわけですが、すぐには誰も扱ってくれませんでした。仕方がありませんので、私は新たに代理店の募集をしました。宝石の専門業者でもない人を選んで、「何を売っておられても構いません。私どもの新しい宝石を売る情熱のある方を求めます」と言って募集し、その方々に売ってもらうことで展開してきました。
これは新しい試みでした。既存の流通ルートが扱ってくれないため、まったく異なる業種の方々を集めた集団をつくり、それを全国展開することによって新しい代理店網をつくることにしました。われわれが扱うのはまったく新しい宝石であり、クリエイティブなものをつくったのですから、販売でも新しいことをやったらどうだろうと考えたわけです。
お父さんがやっておられた仕事を引き継いだ人などは、なかなかクリエイティブなことができないものです。なんとか今の安定した会社を守っていくことしかできないのです。そのように現状に安住するところからは、革新的なことなどは生まれてこないのです。私は常に逆境の中で事業をしてきたため、石を売ってくれないなら自分で売ろうと考えたわけです。
「売れるものを売る」のは誰でもできる
大手流通業の方々に知り合いがいましたから、この販売を自分で始める前に、話を聞いてみました。その方々は、ものを売ることにかけては専門家のはずです。現在大手のスーパーや百貨店の方々ですから、売ることについては右に出る者はいないだけの自信をもっています。
しかし、その方々に新しい宝石を売ってもらおうと思い、お目にかかったところ、非常に失望しました。ものを売ることの専門家だと思っていたのに、実はそうではなく、売れるものを売っているだけだったのです。大資本を背景に、誰にでもできることをしていたのです。
売れるかどうかわからないものを、リスクをかけてでも売ろうというプロに、私は今までお目にかかったことがありません。ですから、われわれは製造の技術屋ではあるけれども、販売のプロにもなってみようではないかと思ったわけです。誰もが売れるとは言わない、また実際に売れてはいないものを売ってみようということで、私どもはチャレンジしたのです。
現在、宝石の事業を始めておよそ五年が経過しましたが、売上も伸びてまいりました(注:本講演は1979年に行われたもの)。おそらく月に三億円ほどの売上です。私どもの出し値が三億円ですから、代理店の一般的な上代価格ですと、もっと高くなります。また、年末には五億円を目指してがんばっています。素人の集団が素人の代理店を使って展開していますが、昔から有力な流通経路をもっている専門業者の方々も、われわれがある程度成功をすれば、必ず「われわれにも売らせてくれ」と言ってこられるだろうと思っています。そうなるように、われわれはがんばっていこうと思っています。
(本原稿は『経営――稲盛和夫、原点を語る』から一部抜粋したものです)